リートリンの覚書

日本書紀 巻第十九 天国排開広庭天皇 四十五 ・百済、救援の兵を乞う ・五経博士、易博士、暦博士、医博士、採薬師、楽人の交代



日本書紀 巻第十九 天国排開広庭天皇 四十五

・百済、救援の兵を乞う
・五経博士、易博士、暦博士、医博士、採薬師、楽人の交代



二月、
百済が、
下部杆率將軍三貴
(かほうかんそちしょうぐんさむくい)、
上部奈率物部烏
(しゃうほうなそちもののべのかく)
等を遣わして、
救いの兵を乞いました。

依然として、
德率東城子莫古
(とくそちとうじゃうしまくこ)を貢ぎ、

前の番(つがい)の
奈率東城子言(なそちとうじゃうしごん)
代えました。

五経博士の
王柳貴(おうりうくい)は
固德馬丁安(ことくめちゃうあん)
と代えました。

僧の曇慧(どむえ)等九人を、
僧の道深(だうじむ)等七人と代えました。

別に勅を奉り、
易博士の
施德王道良(せとくおうどうりょう)、

暦博士の
固德王保孫(ことくおうほうそん)、

医博士の
奈率王有㥄陀(なそちおううりょうだ)、

採薬師(くすりかりはかせ)の
施德潘量豊(せとくはんりょうぶ)、
固德丁有陀(ことくちょううだ)、

楽人(うたまいのひと)の
施德三斤(せとくさむこん)、
季德己麻次(きとくこまし)、
季德進奴(きとくしんぬ)、
対德進陀(たいとくしんだ)

を貢ぎました。

みな、
以請(もうしのままに)によって
代えたのです。

三月一日、
百済の使人、
中部木刕施德文次
(ちうほうもくらせとくもんし)等が
帰国しました。

夏五月三日、
内臣が舟師を率いて百済に詣でました。



(感想)

(欽明天皇15年)
2月、
百済が、
下部杆率將軍三貴
上部奈率物部烏らを派遣して、
救援の兵を乞いました。

依然として、
德率東城子莫古
を献上し、

前の番の
奈率東城子言と交代しました。

五経博士の王柳貴は
固德馬丁安と代えました。


僧の曇慧ら九人を、
僧の道深ら七人と代えました。


別に勅を奉り、
易博士の
施德王道良、

暦博士の
固德王保孫、

医博士の
奈率王有㥄陀、

採薬師の
施德潘量豊、
固德丁有陀、

楽人の
施德三斤、
季德己麻次、
季德進奴、
対德進陀

を献上しました。 

みな、
もうしのままによって代えたのです。

3月1日、
百済の使人、
中部木刕施德文次らが
帰国しました。

夏5月三3日、
内臣が、
舟師を率いて百済に詣でました。

明日に続きます。

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