日本書紀 巻第三十
高天原廣野姫天皇 二十二
・吉野宮・泊瀬への行幸
・位次と年齒を唱え、知らせる
・人事
・礼儀についての詔
五月三日、
天皇は、吉野宮に幸しました。
十日、
百濟の男女二十一人が歸化しました。
十五日、
內裏で、始めて安居の講説をしました。
六月六日、
天皇は、泊瀬に幸しました。
二十五日、
あるかぎりの位のある者を召して、
位次(いじ)と年齒(ねんし)を唱え、
知らせました。
秋七月一日、
公卿、百寮等が、
始めて新しい朝服を着ました。
三日、
天神地祇に、班幣(はんぺい)しました。
五日、
皇子高市を、太政大臣としました。
正廣參を
丹比嶋真人
(たじひのしまのまひと)に授けて、
右大臣としました。
あわせて、
八省百寮を
皆、遷任(せんにん)しました。
六日、
大宰・国司を、皆、遷任しました。
七日、
詔して、
「公卿、百寮の、凡そ位のある者は、
今から以後、
家內でも朝服を着て、
開門する以前に参上するように」
といいました。
おそらく、
昔の者は、宮門に到り、
朝服を着たのでしょう。
九日、
詔して、
「凡そ、朝堂(みかど)の座の上で、
親王を見たなら、
常の如くするように。
大臣と王には、
起きて堂の前に立つように。
二王以上には
座を下り跪(ひざまず)くように」
といいました。
十四日、
詔して、
「朝堂の座の上で、大臣を見たなら、
坐を動き跪くように」
といいました。
この日、
絁(ふとぎぬ)、絲、綿、布を
七つの寺の
安居(あんご)の沙門・三千三百六十三に
施し奉りました。
別に、
皇太子のために、
三つの寺の安居の沙門・三百二十九に
施し奉りました。
十八日、
使者を遣わして、
廣瀬の大忌神と龍田の風神を祭らせました。
・位次(いじ)
位の高低によって定める座席などの順序。席次。席順
・年齒(ねんし)
とし。よわい。年齢。としは
・班幣(はんぺい)
幣帛を諸社に配分奉献すること
・遷任(せんにん)
令制で、異なる官司に移ること、または、異なる任地に赴くこと。また、移動先の官職
(感想)
(持統天皇4年)
5月3日、
天皇は、吉野宮に行幸しました。
10日、
百済の男女21人が帰化しました。
15日、
内裏で、はじめて安居の講説をしました。
6月6日、
天皇は、泊瀬に行幸しました。
25日、
全ての位のある者を召して、
席次と年齢を唱え、
知らせました。
秋7月1日、
公卿、百寮らが、
はじめて新しい朝服を着ました。
3日、
幣帛を天神地祇に配分奉献しました。
5日、
高市皇子を太政大臣としました。
丹比嶋真人に
正広参を授けて、右大臣としました。
あわせて、
八省百寮を皆、遷任しました。
6日、
地方官の大宰・国司を、皆、遷任しました。
7日、
詔して、
「公卿、百寮の、
およそ位のある者は、
今から以後、
家内でも朝服を着て、
開門する以前に参上するように」
といいました。
おそらく、
昔の者は、
宮門に到着してから、
朝服を着たのでしょう。
9日、
詔して、
「およそ、
朝堂の座の上で、
親王を見たなら、
これまでどおりにするように。
大臣と王には、
立って堂の前に立つように。
二王以上には、
座を下り跪(ひざまず)くように」
といいました。
14日、
詔して、
「朝堂の座の上で、
大臣を見たなら、
坐を動き跪くように」
といいました。
この日、
絁、糸、綿、布を
7つの寺の安居の僧・3363人に
施し奉りました。
別に、
故・草壁皇太子のために、
3つの寺の安居の僧・329人に
施し奉りました。
18日、
使者を派遣して、
広瀬の大忌神と龍田の風神を祭らせました。
明日に続きます。
読んでいただき
ありがとうございました。
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