日本書紀 巻第二十 渟中倉太珠敷天皇 五
・高麗の使者、越海の岸に停泊する
・送使難波、高麗の使者を海に投げ入れる
・送使難波、復命する
二年夏五月三日、
高麗の使人が、
越海の岸に泊まりました。
船は破れ、
溺れ死ぬ者が多くいました。
朝廷は、
頻りに路に迷うことを猜(うたが)い、
饗(もてな)しもせずに、
放し還しました。
やはり、
吉備海部直難波
(きびのあまのあたいなにわ)に勅して、
高麗使を送らせました。
秋七月一日、
越海の岸で、
難波と高麗使等が相議(あいぎ)して、
送使難波の船の人、
大嶋首磐日(おおしまのおびといわい)、
狹丘首間狭(さおかのびとませ)を、
高麗使の船に乗らせ、
高麗二人を、
送使(おくるつかい)の船に乗らせました。
このように、
互いに乗って、
姧(かだましき)の志に備えました。
同時に船を発して、
数里ほど至りました。
送使難波は、
すなわち、
波浪に恐畏(きょうい)して、
高麗の二人を執って、
海になげ入れました。
八月十四日、
送使難波が還って来て、
復命して、
「海の裏(うち)に
大きな鯨魚(くじら)があり、
遮って、
船と檝櫂(かじさお)に噛みつきました。
難波等は、
魚に船が呑まれるのを恐れ、
海に入ることができませんでした」
といいました。
天皇はこれを聞いて、
謾語(まんご)であることを
識(し)りました。
官(つかさ)で馳(は)せ使わせ、
国に放ち還しませんでした。
・相議(あいぎ)
互いに相談し合う
・姧(かだましき)
心がねじけている。悪賢い。よこしまで悪いこと
・恐畏(きょうい)
おそれること
・檝櫂(かじさお)
船を漕ぐ道具
・謾語(まんご)
でたらめ、でたらめな話
(感想)
敏達天皇2年夏5月3日、
高麗の使者が、
越海の岸に停泊しました。
船が破損し、
溺れ死ぬ者が多くいました。
朝廷は、
高麗船が頻繁に路に迷うことを疑い、
饗(もてな)しもせずに、
放し帰すことにしました。
そこで、
吉備海部直難波に勅して、
高麗使を送らせました。
秋7月1日、
越海の岸で、
難波と高麗使らが互いに相談しあい、
送使難波の船の人、
大島首磐日と狭丘首間狭を、
高麗使の船に乗らせ、
高麗使の船の二人を、
送使の船に乗らせました。
このように、
互いの船に乗り、
邪計に備えました。
同時に船が出発し、
数里ほど進みました。
送使難波は、
波浪をおそれ、
高麗の二人を捕まえて、
海になげ入れました。
オイオイ、難波さんよ。
自分の命を惜しんで、
他人を海に投げ入れるとは…
鬼畜だな。
8月14日、
送使難波が、
還って来て、
復命し、
「海の中に大きな鯨魚(くじら)がいて、
船を遮り、
船と檝櫂(かじさお)に噛みつきました。
難波らは、
魚に船が呑まれるのを恐れ、
海に入ることができませんでした」
といいました。
天皇はこれを聞いて、
でたらめな話であることがわかりました。
そこで、
官に仕えさせ、
雑用に使わせ、
国に帰ることを許しませんでした。
だよねー。
高麗の使者を国に送りとどける
勤めを放棄したのですから?
当たり前ですね。
しかし、
真っ当な日本人が出てこなくなりましたね。
本当に難波みたいな人いたのかなぁ。
気になりますね。
明日に続きます。
読んで頂き
ありがとうございました。
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