リートリンの覚書

日本書紀 巻第十九 天国排開広庭天皇 六十六 ・高麗の使者を迎えに行く ・高麗の使者を饗応する



日本書紀 巻第十九 天国排開広庭天皇 六十六

・高麗の使者を迎えに行く
・高麗の使者を饗応する



五月、
膳臣傾子(かしわでのおみかたぶこ)を
越に遣わして、
高麗の使を饗(もてな)しました。

(傾子、これは舸陀部古(かたぶこ)といいます)

大使は、
膳臣が皇華(こうか)の使いだと
審(つまび)らかに知りました。

すなわち、
道君(みちのきみ)に語って、
「汝は天皇ではない。

果たして、
我の疑いの如くであった。

汝は既に伏して膳臣に拝した。

いよいよまた、
百姓なのを知るのに足りる。

前に余を詐(いつわ)り、
調(みつき)を取って己に入れた。

速やかにこれを還せ。
煩わしく語を飾るな」
といいました。

膳臣はこれを聞いて、

人を使い、
その調を探索させ、
具にあますことなくかえしました。

京に還り復命しました。

秋七月一日、
高麗使が近江に到りました。

この月、
許勢臣猿(こせのおみさる)
吉士赤鳩(きしのあかはと)とを遣わし、

難波の津から発し、
船を狹々波山(ささなみやま)
で控え引きして、

飾船(かざりぶね)に装って、
近江の北山に行き、
迎えました。

遂に、
山背の高楲館(こまいのむろつみ)
引きいれました。

そく、
東漢坂上直子麻呂
(やまとのあやのさかのうえのあたいこまろ)、
錦部首大石
(にしこりのおびとおおいし)
を遣わして、守護としました。

更に、
高麗の使者を相楽館で
饗(もてな)しました。



・皇華(こうか)
宮廷
・狭狭波山(ささなみ)
大津市逢坂山



(感想)


(欽明天皇31年)

5月、
膳臣傾子を、
越に派遣して、
高麗の使を饗応しました。

高麗の大使は、
膳臣が宮廷の使者だと
詳しくあきらかに知りました。

すなわち、
道君に語って、
「お前は天皇ではない。

果たして、
私が疑っていた通りであった。

お前は既に地に伏して膳臣に拝した。

いよいよまた、
百姓なのを知るのに十分である。

前に私をいつわり、
調(みつき)を取って己の懐に入れた。

速やかにこれを還せ。
煩わしく言葉を飾るな」
といいました。

膳臣はこれを聞いて、
人を遣わし、

その調を探索させ、
あますことなくかえしました。

京に還って復命しました。

秋7月1日、
高麗使が近江に到着しました。

この月、
許勢臣猿と吉士赤鳩とを派遣して、

難波の港から出発し、
船を狭狭波山で控え引きして、
飾船に装って、
近江の北山に行き、
高麗使を迎えました。

遂に、
山背の高楲の相楽館に案内しました。

すぐに、
東漢坂上直子麻呂、錦部首大石を派遣して、
守護としました。

更に、
高麗の使者を相楽館で饗応しました。

明日に続きます。

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