リートリンの覚書

天皇とは? 皇居と皇室の施設


皇居と皇室の施設


都心のビル街に囲まれた、
千代田区の中心に、

お壕に囲まれた東西約1・5㎞、
南北に約2㎞の
緑豊かな広大なエリアにあるのが皇居です。

かつては江戸城のあった場所で、
明治元年に皇居となりました。

以来、天皇のお住まいとなり、
諸行事、執務が行われています。

皇居内には、
諸行事を行う宮殿、宮内庁関係庁舎、
紅葉山御養蚕所などの建物があり、
その一角に皇居東御苑があります。

皇居出典:Wikipedia


皇居東御苑(ひがしぎょえん)


江戸城の中枢といえる
本丸御殿などがあった場所です。

今も櫓(やぐら)、天守台、番所、
砲台跡などが残ります。

敷地面積約21万㎡の庭園は、
昭和43年(1968)10月1日より
一般公開されています。
皇居東御苑内・百人番所

三の丸尚蔵館


上皇陛下と香淳皇后が、
昭和天皇から相続した
絵画・書・工芸品などの
美術品類を国に寄贈されたのを機に、

平成4年(1992)9月、
皇居東御苑内に建設され、
翌年11月3日に開館しました。

現在約9800点の美術品類を収蔵、
企画展にて一般公開しています。
三の丸尚蔵館出典:Wikipedia


桃華楽堂(とうかがくどう)


昭和41年(1966)2月、
香淳皇后の御還暦を祈念して
皇居東御苑内に建てられた音楽堂です。

外観には、
花びら形の屋根の下、
8面の壁面に「日月星辰」「松竹梅」
「楽の音」「雪月花」「鶴亀」
「春夏秋冬」「風水火」「衣食住」
を主題とする図柄が、
陶片モザイクで表されています。

内部ホールは160席。
皇居には宮内庁楽部庁舎内に
雅楽の舞台があるため、
桃華楽堂は主に洋楽の演奏会が
開催されています。
内部の一般見学は不可となっています。
桃華楽堂出典:Wikipedia


生物学研究所


吹上御苑内にある、
昭和3年(1928)に
昭和天皇が生物学を研究されるために
開設された建物です。

木造平屋建ての研究室、
鉄筋コンクリート2階建ての標本室、
渡り廊下で繋がる
木造平屋建ての付属室からなります。

昭和天皇のご研究により
数万点にのぼった標本は、
現在、研究機関に寄贈されています。
生物学研究所・お田植え
出典:宮内庁ホームページ


紅葉山五養蚕所


昭憲皇太后(明治天皇の皇后)が、
宮中での養蚕を復興して、
大正3年(1914)に
吹上御苑内の紅葉山に
養蚕所が設置されました。

以後、貞明(ていめい)皇后、
香淳皇后から上皇后・美智子さま。
そして皇后陛下・雅子さまへ
宮中での養蚕を受け継がれています。

1階は蚕の飼育室、
2階は繭になる過程の蚕を育てる
上蔟(じょうぞく)室となっています。
出典:Wikipedia


宮内庁病院


天皇ご一家、皇族のご診療、
また、宮内庁職員やその家族、
関係者など一般の患者の診療を行う
皇居内の病院です。

内科、外科、産婦人科、眼科、
耳鼻咽喉科、歯科などがあります。


御料牧場


明治8年(1875)、
現在の千葉県成田市に設置され、

昭和44年(1969)、
新東京国際空港(現・成田国際空港)
建設のため、

現在の栃木県に移転した
皇室専用の牧場です。

広さは、約252ha。

皇室の行事で使われる
馬車や乗馬用の馬の飼育・調教をはじめ、

皇室の方々の日常の食事や、
宮中晩餐・園遊会など
公式行事の料理に使われる食材として
家畜の飼養、農作物の生産を行っています。

また、牛乳、バター、ヨーグルト、
チーズなどの乳製品、

羊、豚、鶏の食肉とハムやソーセージなどの
肉加工品、
卵、野菜などが生産されています。

年1回、
在日外交団を接遇する場としても
使用されています。
御料牧場出典:宮内庁ホームページ


京都御所


京都市上京区京都御苑内にあり、
京都御所、仙洞(せんとう)御所、
大宮御所を含む一帯を指します。

延暦13年(794)から
明治2年(1869)まで
天皇の住まいであった
「内裏(だいり)」の
形態を残す現在の建物は、

安政2年(1855)に造営されたものです。

清涼殿、小御所、御学問所、御常御殿など
平安時代以降の建築様式の
移り変わりを見ることができます。

春と秋に一般公開されています。
現在は宮内庁京都事務所が管理しています。
京都御所出典:Wikipedia


・紫宸殿(ししんでん)


京都御所の正殿で、
明治天皇、大正天皇、
昭和天皇の即位礼が行われました。

屋根は入母屋造、
檜皮葺(ひわだぶ)きで、
様式は平安時代の寝殿造りを
基調としています。

紫宸殿の母屋中央には、
即位礼のときに天皇が
おつきになる御座である
高御座(たかみくら)と、

皇后がおつきなる
御帳台(みちょうだい)が置かれています。

上皇陛下、今上天皇の即位礼は、
この高御座と御帳台を東京に搬送し、
皇居の宮殿で行われました。
紫宸殿出典:Wikipedia


・御常御殿(おつねごてん)


室町時代以降に
天皇のお住まいとして設けられました。

剣璽の間をはじめ、
格式のある「上段の間」「中段の間」
「下段の間」など大小15の部屋を持ちます。
御常御殿出典:宮内庁ホームページ


・御花御殿(おはなごてん)


皇太子のための御殿で
東宮御殿ともいいます。

幼少時代の明治天皇が
竹の絵に筆で葉を一枚描き添えた
襖絵があります。


・京都仙洞御所(きょうとせんとうごしょ)


17世紀の初め、
後水尾天皇が上皇となられた際に
造営された住まいです。

京都御所の東南に位置します。

御殿は嘉永7年(1854)の
火災で焼失しましたが、

小堀遠州(こぼりえんしゅう)が
作庭したといわれる庭園や
茶室などが残っています。

令和元年(2019)5月1日より、
「仙洞御所」から
「京都仙洞御所」と改称されました。
京都仙洞御所出典:Wikipedia


桂離宮(かつらりきゅう)


17世紀の初めから中頃までに、
八条宮(はちじょうのみや・のちに桂宮)
初代智仁(としひと)と
二代智忠(としただ)親王によって
造られた別荘です。

明治16年(1883)、
宮内庁に移管され、
「桂離宮」と改称されました。

京都市西京区に位置しており、
桂川沿いでは西は西山一帯を望み、
北は嵐山に対する風光明媚。
日本庭園として
最高の名園といわれています。


修学院離宮(しゅうがくいんりきゅう)


京都市左京区に位置します。

17世紀中ごろ、
後水尾上皇によって造営されたもので、

明治17年(1884)に
宮内庁の所管となりました。

上、中、下の3つの離宮からなり、
借景の手法を取り入れた
日本有数の名庭園として知られています。
修学院離宮出典:Wikipedia


感想

皇居。
去年、大嘗宮の一般公開を見に行きました。

ビル街の中に、
緑豊かな空間。

足を踏み入れると、
洋風建物と
古くから残る和風建築物が混在し、
その隙間から、
近代的なビルが見える

手入れされた緑は、
生き生きと、輝きを放ち。

澄んだ空気は、
都会にいることを忘れさせる。

そんな、
不思議な空間でした。

皇居のお手入れは、
ボランティアの方々がされているとか。
ご苦労様です。

ちょっと、
自分も参加させていただきたい
気持ちになり、

…宮内庁のホームページで
詳細を調べたら

皇居勤労奉仕は、
15人〜60人までの
団体による参加で
お願いしているそうです。
(はっ、団体。自分団体行動苦手だから無理やわ)

気になる方は、
宮内庁ホームページで
皇居勤労奉仕募集のご案内しています。

さて、
京都御所も気になりますね。
春と秋の公開。

一度、
義父に誘われたのですが、
コロナ騒ぎで叶わず。

平穏な日常を取り戻したいものです。

さて、今日はこれで。

最後まで読んで頂き
ありがとうございました。

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