魏志倭人伝・現代語訳27
朝献
原文景初二年六月、倭女王遣大夫難升米等詣郡、求詣天子朝献。太守劉夏遣吏将送詣京都。
書き下し文景初二年(239)六月、倭の女王が大夫の難升米(なしま)等を遣わして郡に詣り、天子に詣りて朝献(ちょうけん)せんことを求む。太守の劉夏(りゅうか)、吏(り)を遣わし将(ともな)い送りて京都(けいと)に詣る。
現代語訳
景初二年(二三九)六月、
倭の女王が
大夫の難升米(なしま)等を派遣して
(帯方)郡に参上し、
天子に詣りて、
謁見して方物を貢献したいと求めました。
太守の劉夏(りゅうか)は、
官吏を派遣し、
共に送らせて、
京都(けいと)に参上しました。
・大夫
漢代の官称で、魏朝もつぐ
・難升米(なしま)
3世紀の人物で卑弥呼が魏に遣わした大夫。
・太守
漢の景帝の時から、郡の民を治める長官の称
・朝献(ちょうけん)
天子に謁見して方物を貢献すること。
・吏
役人
・将
ともに。ともなる。
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参考
かくも明快な魏志倭人伝 木佐 敬久
富士房インターナショナル
倭人・倭国伝全釈 鳥越 憲三朗
中央公論新社
Wikipedia