日本書紀 巻第二十九
天命開別天皇 三十三
・白巫鳥の献上
・橘寺の失火
・寺の官司統治についての勅
三月十日、
攝津国が
白巫鳥(しろしとと)を貢ぎました。
(巫鳥(しとと)、これは、芝苔々(しとと)といいます)
二十三日、
菟田(うだ)の吾城(あき)へ幸しました。
夏四月十日、
廣瀬、龍田の神を祭りました。
十一日、
橘寺(たちばなでら)の尼房で
失火(しっか)し、
十房を焚(や)きました。
二十五日、
新羅の使人の項那(こうな)等を
筑紫で饗(もてな)しました。
祿を賜りましたが、
各々差がありました。
この月、
勅して、
「凡そ、
諸々の寺は、今から以後、
国の大寺である二、三を除き、
それ以外は、
官司(つかさ)が治めることなかれ。
ただし、
その食封(じきふ)があるものは、
先後、三十年に限る。
もし、
年を数えて、
三十年満ちたら、
すなわち、
除くように。
また、
飛鳥寺は、
司(つかさ)が治めることを
不可(ふか)としてきたが、
然るに、
元から、大寺として
官司(つかさ)が常に治めてきた。
また、
かつて功があった。
ここをもって、
なお官が治める例に入れるように」
といいました。
・巫鳥(しとと)
アオジ・ノジコ・ホオジロ・ホオアカなどの小鳥の古名
・失火(しっか)
過失から火事を起こすこと。また、その火事
・官司(つかさ)
役人
・食封(じきふ)
律令制で、皇族・高位高官者・社寺などに禄として封戸 (ふこ) を与えた制度
・司(つかさ)
役人
・不可(ふか)
いけないこと
(感想)
(天武天皇9年)
3月10日、
摂津国が白巫鳥を献上しました。
(巫鳥、これは、芝苔々といいます)
23日、
菟田の吾城へ行幸しました。
夏4月10日、
廣瀬、龍田の神を祭りました。
11日、
橘寺の尼房で失火し、
十房を焼きました。
25日、
新羅の使者の項那らを
筑紫で饗応しました。
禄を与えましたが、
各々差がありました。
この月、
勅して、
「およそ諸々の寺は、
今から以後、
国の大寺である二、三を除き、
それ以外は、
官司が統治してはいけない。
ただし、
その食封がある寺は、
期間を三十年に限る。
もし、
年を数えて、
三十年満たせば、
すなわち、
食封を除くように。
また、
飛鳥寺は、
官司が統治することを
いけないこととしてきたが、
しかし、
昔から、
大寺として官司が常に統治してきた。
また、
かつて功もあった。
こういうわけで、
官司が統治する例に入れるように」
といいました。
明日に続きます。
読んでいただき
ありがとうございました。
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