リートリンの覚書

日本書紀 巻第三十 高天原廣野姫天皇 二 ・天皇と共に東に行き難を避ける ・大友皇子を誅殺する



日本書紀 巻第三十 
高天原廣野姫天皇 二

・天皇と共に東に行き難を避ける
・大友皇子を誅殺する



天渟中原瀛眞人天皇元年夏六月、
天渟中原瀛眞人天皇に従い、
難を東国に避けました。

旅(いくさ)につげて、
衆をあつめて、
遂に謀(はかりごと)を定めました。

廼(すなわ)ち、
敢死(かんし)の者・数万を分けて、
命じて、
諸々の要害(ようがい)の地に置きました。

秋七月、
美濃の軍將等と
大倭の桀豪(いさお)と共に、

大友皇子(オオトモノミコ)を
誅(う)ちました。

首を不破宮(ふわのみや)におくり、
詣でました。

二年、
皇后に立ちました。

皇后は、
始まりから今まで、
天皇を佐(たす)け、
天下を定めました。

つねに侍している際、
政の事を言及し、
毗(たす)け、補う所が多かったです。



・旅(いくさ)
軍隊
・敢死(かんし)
死を覚悟すること。決死
・要害(ようがい)
地勢がけわしく、敵を防ぐのに適している所
・桀豪(いさお)
勇ましい人
・大友皇子(おおとものみこ)
天智天皇の皇子
・不破宮(ふわのみや)
大海人皇子は、不破の関(現在の岐阜県不破郡関ケ原町)辺りに「不破宮」として仮の「宮」を建て、軍の本陣を置いていた



(感想)

天武天皇元年夏6月、
天武天皇に従い、
難を東国に入り、
避けました。

軍隊に告げて、
衆を集めて、
遂に謀(はかりごと)を定めました。

そして、
決死の者・数万を分けて、
命じて、
諸々の要害の地に置きました。

秋7月、
美濃の軍将らと大倭の豪傑らと共に、
大友皇子を誅殺しました。

首を不破宮におくり、
詣でました。

2年、
皇后に立ちました。

皇后は、
始まりから、
今にいたるまで、

天皇を補佐し、
天下を定めました。

つねに、
天皇に付き添っている際、
政治の事を言及し、
助け補う所が多かったです。

明日に続きます。

読んでいただき
ありがとうございました。





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