リートリンの覚書

日本書紀 巻第六 活目入彦五十狭茅天皇 三 天日槍


日本書紀 巻第六 
活目入彦五十狭茅天皇 三 

・天日槍の帰化


三年、春三月、
新羅王(しらぎ)の子、
天日槍(あまのひぼこ)が帰化しました。

持参した物は、
羽太(はふと)の玉一箇。
足高(あしたか)の玉一箇。
鵜鹿鹿(うかか)の赤石の玉一箇。
出石(いずし)の小刀一口。
出石の桙(ほこ)一枝。
日鏡一面。
熊神籬(くまのひもろぎ)一具。
合わせて七物です。

それらは、
但馬国(たじまのくに)所蔵し、
長く神の物としました。

・一伝では、
初め、天日槍は艇に乗って、
播磨国(はりまのくに)に停泊し、
宍粟邑(しさわのむら)に居ました。

時に、天皇は、
三輪君(みわのきみ)の祖、
大友主(おおともぬし)と、

倭直(やまとのあたい)の祖、
長尾市(ながおち)を
播磨に派遣して、

天日槍に問いかけました。
「汝は誰だ。どこの国の者だ」

天日槍は答えました。
「僕は、新羅の主(こきし)の子です。

然るに、日本國に聖皇がいると聞き、
すぐさま国を弟の知古(ちこ)に授け、
帰化してきました」
と言い、

献上してきた物は、
葉細珠(はぼそのたま)、
足高珠、
鵜鹿鹿赤石珠(うかかのあかしのたま)、
出石刀子(いずしのかたな)、
出石槍(いずしのほこ)、
日鏡、
熊神籬(くまのひもろぎ)、
膽狭浅太刀(いささのたち)、

合わせて八物です。

そこで天日槍に詔して、
「播磨国の宍粟邑と
淡路島の出浅邑(いでさのむら)。
この二つの邑は、
お前の思いに任せて住んでよい」
といいました。

この時、天日槍が啓して、
「臣の住むところは、
もし、天恩を垂れて、
臣のこころから願う地を
許していただけるなら。

臣は自ら諸国を歴(めぐ)り、
視察して、臣の心に合う(土地を)
いただきたい」

すなわちそれを許しました。

そこで天日槍は
菟道川(うぢがは)から遡り、
北は近江国(おうみのくに)
吾名邑(あなむら)に入り
しばらく住みました。 

またさらに、
近江から若狭国(わかさのくに)を経て、
西は但馬国に到着し、
住む場所を定めました。

是を以て、
近江国の鏡村谷の陶人(すえひと)は、
すなわち天日槍の従者です。

故に、天日槍は
但馬国の出嶋(いずし)の人の
太耳(ふとみみ)の娘、
麻多烏(またお)を娶り、

但馬諸助(たじまもろすく)が生まれました。
諸助は但馬日楢杵(ひならき)を生みました。
日楢杵は清彦(きよひこ)を生みました。
清彦は田道間守(たじまもり)を生みました。



・但馬(たじまのくに)
兵庫県北部

播磨国(はりまのくに)
兵庫県南部

菟道川(うぢがは)
宇治

近江国(おうみのくに)
滋賀県

若狭国(わかさのくに)
福井県西部


感想

本日のお話は、
新羅の王の子、天日槍が帰化したお話ですね。

昨日のお話は、
任那国の王の子のお話…

二国間は仲悪いのに。
どっちも日本国に帰化していた?

しかも、
わざわざ、王子がやってくるって。
何か変ですね。
(やっぱ、人質?)

さて、
天日槍は、
日本国に聖皇がいると聞き、
国を弟、知古に譲り帰化してきました。

その際、
持参した物は、
但馬国で神の物として長く所蔵されていたと。

帰化した天日槍は
天皇に周辺を廻り
気に入った場所に住みたいと
申し出て許されます。

そして、但馬国出嶋人の太耳の娘、
麻多烏と結婚して、

子どもが生まれた。
その子孫についての説明です。

天日槍の子孫、
清彦とその子、田道間守は
後々活躍しますから
詳しく記述したのでしょう。

さて、その2人は
どのような活躍をするのでしょうか?

明日に続きます。

最後まで読んで頂き
ありがとうございました。

余談。
校正していたら、
神羅といっぱい打ち込んでいました😅

「しんら」と打ち込むとウチのパソコンちゃんは、
神羅を変換候補一番に挙げてくれるらしい。

イヤ、FF7の記事じゃあねぇし。


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