僕は名もない凡人でいたい

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カンディード

2017年11月17日 | 本と雑誌
今月末のスクーリング(外国文学)の予習。

サド著「悪徳の栄え」を読書中、座間市の事件と重なるところがあり、読む気力が全く失せてしまった。
ご存知の通り、サドはサディストの語源である。
学友に話したら「選択ミスじゃない」と言われてしまった。おっしゃる通り。
外国文学のテキストは数十冊あるので、他のテキストを読むことにした。

手に取ったのはヴォルテール著「カンディード」。
この作品は哲学コントと呼ばれている。
ある哲学者から最善説の教えを受けた青年カンディード。全ての事象には原因があり結果がある、そしてそれは最善である、という考えを持ちながら、差別や迫害、混乱と戦争にまみれる世界を目にする。

これは偶然にも、我が楽団の2018年新春コンサートの演目「キャンディード」の原作であった。
レナード・バーンスタイン作曲のオペラである。
こんなところにも文学と音楽の繋がりがあった!
Candide Overture キャンディード序曲 レナード・バーンスタイン

星野道夫『ノーザンライツ』

2017年05月17日 | 本と雑誌
学生時代、大好きだった星野道夫さんの写真とエッセイ。
逗子の古本屋でまた再会できました。
厳冬の地で出会った人々への、著者のまなざしが温かいです。

  9月も半ばを過ぎると、フェアバンクスには晩秋の気配が漂ってくる。太陽の沈まぬ光に満ちた夏は遠く去り、美しい秋色も色褪せた。が、それを悲しむにはまだ早い。来るべき冬を待ちながら、風に舞う落葉を眺め、カサカサと枯れ葉を踏みしめる、不思議に穏やかな日々がまだそこにある。満ち潮が押し寄せ、再び引いてゆく前の、つかのまの海の静けさのようなとき。人の一生にも、そんな季節があるだろうか。
  (星野道夫「ノーザンライツ」新潮社 平成12年)


虐待に苦しみ、自分を消してしまいたかった当時の私。
死ねないのなら、せめて世界のどこか遠くへ行きたかった。

そんな時、星野道夫さんの写真とエッセイは、私の心を遠くへ遠くへと飛ばしてくれました。
今読んでも、言葉の一つ一つ、写真の一枚一枚が変わらぬ輝きを放っています。

番組の企画でクマに襲われ、亡くなられたとの事。テレビを見なかったので知りませんでした。
現在、没後20年特別展「星野道夫の旅」が全国展開されています。

【感想】又吉直樹著「火花」

2017年04月26日 | 本と雑誌
やっと読んだ、又吉直樹著「火花」。
横浜市立図書館で予約待ちは3200人超え。
2年待って2時間で読み終わり、もったいないような気がした。
今さら誰にも読まれないかもしれないが、自分の記録的に感想を書く。

芸人を目指しながら、世間の波にもまれてあがく主人公・徳永と、人生の全てを芸人として生きようとする先輩・神谷を主軸に、物語は展開する。

徳永は移り変わる風景、人、自分を見つめ、焦りや不安、寂寥を嚙みしめながら夢に向かって行く。
対して神谷は、世間に寄らないがために世間から弾き出された存在である。
真樹の所に転がり込み、ご飯を食べさせてもらい、小遣いをもらって飲み歩く。後輩にお金は出させない。真樹が去ると、借金をしてまた飲み歩く。借金取りに追われて姿をくらます。
正真正銘、クズ男である。
それなのに、滅茶苦茶なまでに真実に優しい。
世界を、人を、すべてを信頼している。

この2人がどうなるか。
なんと、どうにもならないのである。
去っていく人たち、変って行く人たちに置いてけぼりされたような2人。
徳永は若さを失ったことを感じている。

真樹は神谷を支えるために売春し、そこで知り合った男と一緒になる。
彼女の存在は、神谷だけでなく徳永にとっても大きな支えだった。
十年後、徳永は偶然、少年の手を引く真樹を見かける。
小説内で唯一、時をまたいだのはこの場面であり、美しく印象的だった。

  誰が何と言おうと、僕は真樹さんの人生を肯定する。僕のような男に、何かを決定する権限などないのだけど、これだけは、認めて欲しい。真樹さんの人生は美しい。あの頃、満身創痍で泥だらけだった僕たちに対して、やっぱり満身創痍で、全力で微笑んでくれた。そんな真樹さんから美しさを剥がせるものは絶対にいない。

そして、芸人として最後の舞台。
相方の山下と、反対語で漫才をするという場面に、私は胸が熱くなった。

  「そんな、素晴らしい才能の天才的な相方に、この十年間、文句ばっかり言うて、全然ついてきてくれへんかったよな!」
  僕は、天才になりたかった。人を笑わせたかった。
  「なに言うてんねん」
  僕を嫌いな人達、笑わせてあげられなくて、ごめんなさい。
  「そんな、お前とやから、この十年間、ほんまに楽しくなかったわ!世界で俺が一番不幸やわ!」
  相方が漫才師にしてくれた。
  「ほんで、客!お前達ほんまに賢いな!こんな売れてて将来性のある芸人のライブに、一切金も払わんと連日通いやがって!」
  そして、お客さんが、僕を漫才師にしてくれた。
  (又吉直樹著『火花』2015年 文芸春秋)

     
世間の声を気にしながら、その不器用さも武器にできず、徳永の夢は花火のように散って終わる。

図書館という公の場所にも関わらず、私は胸をぎゅっと掴まれて苦しくて涙が出そうだった。

文体は、正しい日本語で初々しい感じ。
次作も楽しみです。

山崎ナオコーラ『人のセックスを笑うな』 感想

2017年04月24日 | 本と雑誌
最初の数行で主人公は女だなと思ったら、一人称で「オレ」と語り始めたので驚いた。
解説を読んで、なるほどあの違和感はそういう事、と一応納得する。

  思えば、言葉は男性のものであり、感覚は女性のものであるとされてきた。だが、感覚が男性のものであって悪いのか(逆にいうなら、言葉が女性のものであって悪いのか)。
 「オレ」は半ば女性である。「ナオコーラ」が半ば男性であるように。そして、そのことが「救済」であるとこの小説は語っている。
    (解説・高橋源一郎)


私には「オレ」はどうしても女に見えてしまう。
生物学的にこうなんじゃないか、という私の想像だけど。
なぜ、主人公を男性にしたのだろう?
解説を読んで一応は納得するけれど、作者本人に聞いてみたい。

この本をすすめてくれたのは、我が大学の文芸の先生と学生で、どちらも男性である。
とにかくセンスが良いから、タイトルに驚かないで、と。

読みやすくて1時間位で読んでしまった。
著者名もタイトルも意表を突くが、内容は繊細で、文体はさりげなく詩のよう。

★1つ 『蜜蜂と遠雷』

2017年03月04日 | 本と雑誌
国際ピアノコンクールを題材にした音楽小説、恩田陸『蜜蜂と遠雷』(直木賞受賞)を読みました。

わたしは★1つでした。
内容は退屈、音楽表現は大げさ、文章表現は単調でした。
(うっ、なんて辛い評価なんだ)
前半はなんとか頑張って読んだのですが、後半はさっと流し読みして読了です。

「天才」という言葉を使いすぎている。
「怒涛のような」とか「悲鳴のような」とか「おぞましい」とか、大げさな表現が出て来るたびに引いてしまう。
演奏中の自分を俯瞰で見るのは、演奏者としてはよくわかるけれど、文章で書きすぎると実際より印象が薄れていく。
コンテスタントと審査員が師弟関係だったり、登場人物が日本人や日系人ばかりだったりと、国際コンクールのリアリティがない。
……フィクションだから、と自分に言い聞かせないと読み進められませんでした。

音楽を小説で表現するのは本当に難しい。
かつて本屋大賞になった宮下奈都『羊と鋼の森』も、ピアノ調律師の仕事の愚痴を延々聞かされているような気がしました。

ショパンコンクールを描いた『ピアノの森』のように、漫画なら成功するのに。

音楽に言葉は無用かな。
よほど絵の方が伝わる気がします。

卒業研究の音楽小説は、失敗覚悟で描くしかないわ(書くではなく)、と自分の肝に銘じました。
大学の先生方がおっしゃていたことの意味が、よくよくわかってきました。