映画「風立ちぬ」を見に行く日。
わたしは前日から、咳と鼻水が出ており、市販薬を飲んでもいいかどうか病院に確認の電話をしました。
たいしたことはないのですが、以前、肺炎になった時も、最初は風邪の引き始めみたいな軽い感じから、どんどんひどくなったことを思い出して、早めに治しておこうと思ったのです。
気楽に電話をしたのに、先生に「受診してもらおうかな」と言われ、
「いえいえ、咳と鼻水だけですから」と焦りました。
先生 「熱は?」
lib 「体温計が壊れていて・・・・・・」
先生 「えぇ?!」
lib 「あの、全然元気なんで・・・・・・。ただ、市販薬を飲んでいいかだけ聞きたかったんです。今日は映画見に行くんです。」
先生 「わかりました。市販薬を飲んでもいいです。それで様子をみましょう。」
lib 「はい。(ホッ)」
先生 「熱が出たり、症状がひどくなるようであれば、土日でも電話をください。あと、できれば体温計は買ってください。」
なんだか、こんな風に病院の先生と話すと、本気の病気みたい
(病気だけど)
でも、今日は映画を観に行くのだ~!
気を取り直して、行きました
◇◆◇◆ ※ここから先、映画のネタバレあるよー ◆◇◆◇
映画「風立ちぬ」は、大正12年の関東大震災、昭和16年から始まった太平洋戦争など、時代を揺るがす衝撃的な歴史背景の中に生きた、若者の夢を描いた作品です。
零式艦上戦闘機、いわゆるゼロ戦を設計した堀越二郎が主人公になっています。
イタリア人設計士が夢の中で語る【飛行機は美しい夢】という憧れを胸に、ひたすら戦闘機の設計に没頭する主人公。
映画では、戦闘や人が死ぬシーンは出てきません。
ただ、飛行機の残骸が浮き彫りになるのみです。
最初から最後まで、二郎は自分が作っているモノが人を殺す道具であるということに、向かい合おうとしなかったように感じました。
「一機も戻りませんでした。」
なんの感慨もなく、無表情につぶやく二郎に、わたしは違和感を感じずにいられません。
この人は、一切、葛藤しないのです。
震災で足をケガした女性を助けたり、飢えた子どもにお菓子を分け与えようとしたり、同僚との友情を大切にする、素晴らしき人格者なのに。
国や会社からの命令で仕方なく作っているという感じではなく、ただ【飛行機は美しい夢】というカプローニの抽象的な言葉だけが繰り返され、そのために戦闘機を作り続けます。
そして突如、シーンが変わり、美しい森に囲まれた避暑地で、薄幸の少女と再会します。
(彼は一体、あそこに何しに来ていたんだろう?あんなに飛行機作りに没頭していたのに。休暇?うーん、よくわからない)
堀辰雄著「風立ちぬ」の愛と死の世界です。
婚約者は儚く散り、次なるメッセージ【生きねば】が出てきます。
すべての事象が断片的すぎて、感情移入できません。
映画館内では、何人もの人が寝ていました。
わたしは、(いつになったらこの世界に入り込めるのだろう)と思い続け、そのうち映画が終わってしまいました。
積極的に映画を楽しむ努力をしたつもりですが、2時間は長く、唯一、ユーミンの「ひこうき雲」に救われました。
宮崎駿の趣味の世界(飛行機大好き)を、具現化した作品だったのかな?という印象です。
あと、宣伝が多かったので覚悟はしていたものの、主人公の声は感情の抑揚がなく、本当に残念、お粗末、お気の毒でした。
それに、風景画も期待していたほど美しくなかった・・・・・・
「コクリコ坂」の方が美しかったです。
もう、ジブリは映画館で見なくてもいいかなと思いました。
映画のメッセージも、わたしにはよくわかりませんでした。
【美しい夢】の中で【生きねば】でいいんだろうか?
二郎が作った飛行機で、現実にたくさんの若者が命を落としています。
戦闘機に乗った人も、その戦闘機で撃たれた人も・・・・・・。
その人たちにも、夢はあり、友人や恋人がいて、生きたかったに違いありません。
主人公がそういう現実に目を向けず、単純に【美しい夢】だなんて実感の湧かない言葉だけを頼りに、淡々と戦闘機を作っていたのが残念です。
【美しい夢】のために必要な犠牲だった、という風にも受け取れました。
ヒロインだけが、自身の「死」という厳しい現実に向き合い、愛と情熱を持って生きたように感じます。
わたしたちは戦後の時代に生きているからこそ、過去を振り返る冷静な目を持っています。
歴史を背景にした作品では、その時代に生きた人の情熱が見たいとわたしは思うのです。
たとえそれが、愚かだとしても・・・・・・。
はい[E:happy01]
危うく、映画館ではなく病院へ行くところでした[E:coldsweats01]