白血病とわかってから6か月がたちました。
寛解導入の入院は、なにがなにやらわからず駆け抜けた1か月半でした。
当時の血液データを見ると、本当に過酷な治療だったことがわかります。
化学療法で体はボロボロになりましたが、命は取り留めました。
すごく大変だったことは覚えているのですが、衝撃的すぎて治療の詳細な記憶が飛んでいます。
この期間、母が泊まりがけで手伝ってくれて助かりました。
ただ母は、わたしたち夫婦と一緒に闘うという感じではなく、あくまでも‘手伝ってあげている’という立場を崩しませんでした。
連絡なしに突然やってきたりあるいは来なかったり、夫のいない時に許可なく我が家で父とお酒を飲んだり勝手に人を泊めたり。
夫はなにも言いませんでしたが、母の傍若無人ぶりにどれほどストレスを感じたでしょう。
一時退院の時に、3人でお祝いにレストランへ行きました。
母は「当然奢ってくれるんでしょ」と言いました。
(母を労う会?)
わたしたち夫婦は病気のことで精いっぱいです。
この病気は完治しなければ死ぬ病気なのだと何度言っても聞こうとしません。
わたしは母とケンカ別れをしました。
真剣に現実と向き合ってくれる夫とわたし自身の2人で、この病気と闘うことに決めました。
◆◇◆◇◆
地固め1コース目は、白血球と好中球がゼロの状態で肺炎になり、生死をさまよいました。
救命措置を取るためICUでは受け入れ態勢を整えられ、血液内科・感染症内科・呼吸器科の先生たちが総動員で治療にあたり、強力な抗生剤を大量に投与されましたが、それが効くかどうかはわかりませんでした。
また、白血球が回復してくると自ら肺を攻撃して多臓器不全になる可能性もある、と告げられました。
助かるためにはいくつもハードルがありました。
鼻から酸素を入れ、心電図が取り付けられました。
常時、脈拍は120ありトイレに立つだけで140を超えて、看護師さんが飛び込んできました。
40度を超える熱が2週間続き、夫の精神もおかしくなって「会社を辞めてずっとそばにいたい」と泣きながら言うこともありました。
「病気を治してこれからも2人で生活するんだから、仕事頑張って」
わたしは簡単に言ってしまったけれど、夫も本当に頑張って一緒に闘ってくれたと思います。
『今日1日を生き抜く』という闘いだったので、薬で解熱をし、体が動ける時に食事をしたりシャワーを浴びたりしました。
病は気からと言いますが、本当にその通りです。
ご飯を食べるのを諦めないこと、良い話をいっぱい聞くこと、笑うこと・・・・・・。
結局、ICUに入って気管切開を行うこともなく、血球値が上がって多少影は濃くなったものの肺は無事でした。
退院当日にサイトメガロウィルスに感染して入院期間が延び、悔しい思いをしました。
後に、肺炎の原因はCVからの感染と判明。
この時の入院は58日間に及びました。
◆◇◆◇◆
地固め2コース目は、CV処置に10回以上も失敗し、気胸(肺に穴が空く)になりました。
CV処置はすごく痛いので、失敗されると本当に疲れてしまいます。
CVを入れてる間中、ずっと血が流れていました。
この時の傷跡はいまだに残っています。
感染といい気胸といい(わたしにとってCVは鬼門だなぁ)と感じ、CV処置について主治医と半分ケンカみたいになりながら話し合いました。
わたしは「次回からはオペ室で外科の先生に処置して欲しい」と訴えました。
オペ室に行くと全身麻酔になってしまいますが、超音波で血管の位置を調べてから処置するので失敗のリスクがほとんどありません。
「libさんは暴れないので大丈夫です。次は左からやりましょう」
主治医は一歩も引かず、わたしも「暴れなくたって失敗してるじゃーん!!」と譲らず、何回も話し合いました。
結局、全身麻酔のリスクを考えて次回も同じ処置方法になりました。
麻酔科の先生は「全身麻酔で死ぬ人なんていないよーアハハ!」と笑いますが・・・・・・。
白血病の治療でCVは必要不可欠です。
感染のリスクを負ってでも必要です。
強い抗がん剤で血球値が下がるので、輸血が必要になることが多く、感染症になれば抗生剤を入れたりもするので、太い静脈を確保しておくのです。
(病棟で入院のたびにCVを入れてる人なんて滅多にいません。白血病の治療がいかに過酷か・・・・・・)
この時の治療では、メソトレキセートの大量投与で口内炎が重症化しました。
唇の裏、頬の裏、舌、口内炎だらけで、顔がむくむほどです。
冷たいお茶漬けと固形物のない冷たいスープで乗り切りました。
あんな状態でも、わたしがなにかしらご飯を食べていることに皆に驚かれました。
夫には「野生だね」と言われました。
痛い思いをしましたが、血球値がさほど下がらなかったので(死ぬわけじゃないし)と気楽でした。
◆◇◆◇◆
地固め3コース目は、CVは1発で成功しました。
感染もなく、傷跡もほとんどありません。
主治医のゴッドハンドが光っていました。
ロイナーゼの筋肉注射は脂汗が出るほど激痛で「点滴に変えてほしい」と先生に訴えました。
しかし「アレルギーが心配」とのこと。
ほとんどのお薬はいずれ体からはけていくのですが、ロイナーゼは蓄積されアレルギー症状が出やすくなり、お薬自体が使えなくなってしまう可能性があるのだそうです。
そのアレルギー症状はアナフラキシーショックなど大変重いものも含まれます。
「筋肉注射でゆっくり体に入れてあげるとそのリスクが軽減されるんですよ」
そう説明され「じゃ、筋肉注射で」と持ち前のガッツが発揮される体育会系なワタシ。
「痛いから薬はゆっくり入れてぇぇ~~!!」と、看護師さんに大騒ぎでリクエストしながら、全6回やり切りました。
◆◇◆◇◆
次回、地固め4コース目は地固め1コース目と同じお薬を使います。
骨髄抑制が強く血球値が下がるので、前みたいに肺炎にならないように気を付けなければ。
わたしの腎臓や肝臓はとても丈夫で、いまのところ頑張ってくれています。
しかし、化学療法を繰り返すたびに、体が弱っていくのは確かです。
骨髄移植をするなら早い方がいいと思っています。
早くドナーさんが決まってくれると嬉しいです。
頑張ります[E:happy01]
ドナーが決まると良いね[E:paper]
ご両親の事は、ちょっと距離をおけるといいねぇ[E:clover]
昨日も旦那と川崎でミスドの[E:cake][E:cafe]新商品を食べて、二人で餃子を作りました[E:beer]
餃子を2人で作るなんて仲良しですね[E:heart04]
ご主人様のがんばり、そして、ご両親とのこと。かなり印象的ですね。
この記事を読んで、libさんの芯の強さを改めて感じました。採用面接で支給された交通費を黙って机の上に置いていってしまって以来、「この人はすごく芯が強い!」と思っていましたが、やっぱそうですね。
その強さで、これからも乗り切ってください!!
コメントどうもありがとうございます[E:happy01]
人に話すことではないと秘めていた事も含め、批判や誤解も覚悟で思いのままに書いたらこんな記事になりました。
わたしは弱く1人ではなにも出来ないのですが、周りの人にいつも支えられていることを感じます。
doroさまはいつも、颯爽と現れてわたしを励まし風のように去っていきます。おかげでわたしは全く疲れず、ただ癒されるばかり。doroさまを見ていると(生きることは行動することなんだなぁ)と思います。
夫も「doroさんはすごい人だね」といつも言っています[E:shine]