僕は名もない凡人でいたい

バイオリン オペラ 文芸 旅行 絵……そして、日常。白血病闘病記も

人体クロッキーのスクーリング

2016年07月04日 | 大学
ヴァイオリン発表会後に風邪をひき始めました。
その翌週の大学スクーリングをギリギリの体力でなんとか乗り切り、その後2日間ほど泥のように眠って……ようやく家事ができるくらいに復活しました。
骨髄移植で抗体が無いので、幼児並みに風邪をもらいやすく治りづらい……これには本当に参ります
人込みではマスクをつけたり、ちょっとでも風邪っぽいと思ったらすぐに葛根湯を飲んだり、時間を見つけて昼寝をしたりと、体調管理には気を付けているつもりなのですが
 ☆

そんなこんなのグロッキー状態で、通勤ラッシュにもまれながらのスクーリングはハードでしたが、デッサンはこれを最後にしようと心に決めていたので頑張ってきました。
これまで草花、樹木、静物を描き、最後は人体ヌードクロッキーです。
若い女性のモデルさんが1分~20分の間で時間を決めてポーズをとるのを、何枚も何十枚もどんどん描いていきます。
一糸まとわぬ美しい裸体です。
モデルさんの覚悟と決意がビシッと感じられ、すごい迫力と感動がありました。
3日間で3人のモデルさんが来ました。
とくに最終日は、9カ月の妊婦さんでした。
お腹が大きい妊婦さんのヌードが描けるなんて、もう一生無い気がします。
拙い技術ながら、わたしも精一杯描いてきました

「絵は才能ではありません。経験です。だからこれからも続けてください」
「挫けそうになったら私のところに来てください。いくらでも励まします」

芸大のN先生の言葉は、挫折しそうになる多くの学生を救っています。
わたしもその一人。
文芸専攻なのに、こんなに多くのデッサンの授業を取ったのもN先生と出会ったからです。
通信教育部なので老若男女色々な学生がいますが、N先生は相手が誰であろうと、必ずその人の良いところを見つけ、対等の人間として受け入れ、エールを送ってくれます。
人類愛がすごい人なのだと思う。
そのために、いつも先生の周りには人だかりが出来ていてわたしなどは近づけないのですが、今回は奇跡的に、授業後に先生が一人だったのでお話することができました

N先生のデッサンを受けるのはこれが最後であることを伝えようとした時、つい、「私事ですが」と自分が白血病で骨髄移植をしていることを打ち明けていました。

「正直、体力的にキツい時もありましたが、N先生のデッサンの授業には感動と喜びがあり、それに励まされて中退もせずにここまで来られたと思います。ありがとうございました」

全然泣くところではないのに、わたしは涙が出てしまいました
先生が悲しそうな目でじっと見つめてきたので、マズイと思いすぐに冷静になりました。先生に余計な心配をかけたいわけではないのです。
N先生は、いつもの笑顔になり、わたしにこんな言葉をかけてくれました。

「そんな風に言ってもらえて光栄です。文芸コースのあなたが、何度もデッサンの授業を受けていたのをずっと見ていましたよ。専攻が文芸であってもデッサンは無駄にはなりません。文章も物をよく見なければ書けないはずですから。これからもぜひ、デッサンを続けてください。頑張って!」

そして、別れ際にも、

「本当に、絶対に、頑張ってね!!」

と声をかけてくださって、わたしは、感謝の気持ちと別れの寂しさとで胸がいっぱいになりました。
その後、風邪はピークを迎え、泥のように体が重く疲れて、やっとの思いで帰途につきました。
体は限界でしたが、最後にN先生と話ができて本当に良かったです。
感謝・感謝

最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (MI)
2016-07-07 10:42:19
「文章も物もよく見なければ書けない」というのは、本当に同感です。そういう意味で、絵を描くことは勉強になるとずっと感じていました。ありのままを見て描いているつもりでも、自分の見たいように、都合よく見ていたりすることに気づかされます。よく見た上で、表現は別物で、絵でも文章でも、写実である必要はないとは思いますが。
返信する
MIさん (lib)
2016-07-07 18:17:37
本当にそうですよね。
目の錯覚とか、自分が見たいものしか見ていないとか……「見る」という単純なことを、わたしはああもおろそかにしていたのかと、デッサンで多く気づかされました。
MIさんの「写実である必要はない」という言葉には深みがありますね。まるでピカソのよう。正しく見た上で、表現は自由に飛翔して良いのですね!

昨年、入院騒動でスクーリングに出られず、1年を棒に振ったと悔しい思いをしましたが、無駄ではなかったとこの頃は思えてきました
返信する

コメントを投稿