薔薇色ファンタジー★ヴェルヴェットの小部屋

色褪せぬ美しきもの・映画・音楽・文学・絵画等。ヴェルヴェット・ムーンのサブchouchouの偏愛日記です。忙中有閑♪

『白薔薇(白いバラ)』 ベルト・シルヴァ:BERTHE SYLVA(1925年)

2007-05-05 | 好きなシャンソン
1925年録音のベルト・シルヴァ(Berthe Sylva)のシャンソンの名曲の一つ。『白いバラ』としての表記の方が有名なのかもしれない。今日まで多くのシャンソン歌手の方々が歌い継いでいるけれど、クレシオン(創唱)はこのベルト・シルヴァ。私は世代的にロックやポップス(時に前衛的な音楽も)に慣れ親しんでいる。しかし、これまた母の影響で”シャンソン”という音楽を知る。世紀の大歌手エディット・ピアフが大好きな方だった。ところが、私は当時は(失礼極まりないけれど)ピンと来ず、バルバラやブリジット・フォンテーヌに傾倒していった(今も大好き)。次第にロックやフレンチ・ポップスと同時にシャンソンを聴くようになり今日も変わらない。日本では”シャンソン”と”フレンチ・ポップス”と区別された扱いながら、本来はフランス語で歌われる歌全般(Chanson de varietes)”歌謡”のこと。私のような世代だと、レトロなフランス歌謡をシャンソンと感じるのは仕方のないことかもしれない。”シャンソン”と言えどもいくつかの種類があり、音楽評論家の方々によってもその分類は様々である。この『白いバラ』はシャンソン・レアレストの名曲で、フランスで愛され続け、最も美しいシャンソンの1位に選出(1980年)されたそうだ。

『白薔薇(LES ROSES BLANCHES)』

 それはひとりの小さな パリの少年の話
 その子の身よりといえば母親だけ
 年若く、貧しいその母親は
 悲しみと不幸に沈んだ 大きな瞳をしていた
 彼女は花が大好きで
 ことに、薔薇の花を愛していた
 いたいけなその少年は日曜日ごとに
 自分のほしいものを買うかわりに
 白い薔薇の花を母親にもっていった
 やさしく彼女にだきついて
 花をさしだしながら
 「今日は日曜日だから
 はい、ママン
 大好きな白い薔薇の花だよ
 ぼくが大きくなったら
 花屋に行って
 白い薔薇の花を全部買ってあげる
 大好きなママンのために」

 去年の春
 突然運命はやってきて
 ブロンドの髪の働き者をおそった
 彼女は病に倒れ、そして少年は
 母親が病院に連れて行かれるのを見た
 四月の、とある朝のことだった
 行き交う人々にまぎれて
 体をふるわせながら
 市場に立っていた
 一文無しのあわれな少年は
 すばやくひとつかみの花を盗んだ
 花売りの娘が驚くと
 少年はうなだれて言った
 「今日は日曜日だから
 ママンに会いにいくところだったの
 ぼくはこの白い薔薇の花をとったよ
 ママンが好きだから
 小さな白いベッドの上で
 ママンはぼくをまってるの
 ぼくはこの白い薔薇の花をとったよ
 ぼくの大好きなママンのために」

 心動かされた花売りの娘は
 やさしく少年に言った
 「その花をもっておいきなさい、あなたにあげるわ」
 彼女が少年にキスをすると、彼はかけだした
 人々は晴ればれとした顔で少年を許した
 そして少年は母親に花をあげるために
 病院に走ってやってきた
 するとそれを見たひとりの看護婦がいった
 「あなたのママンはもういないのよ」
 小さな少年は白いベッドの前に
 くず折れるのだった
 「今日は日曜日だから
 はい、ママン
 大好きだった 
 白い薔薇の花だよ
 空の上の
 大っきなお庭に行くんだったら
 この白い薔薇の花を
 もっていくといいよ...」

訳詩:中島三紀 『薔薇色のゴリラ』より


私がこのベルト・シルヴァの歌声を知ったのはフランスのレコード屋さん。90年代の初めのこと。やたらと編集盤など沢山見かけるので安かったのでジャケットの気に入ったものを数枚買って帰った。そして、何だかその歌声に興味を持った。塚本邦雄氏の『薔薇色のゴリラ』という本が好きでその中にこの曲の事も書かれていた。そして、訳詩も載っていて感動した、とても。優しく美しい心に胸を打たれる。これは歌(詩)、でも、ひとつのドラマが描かれている。今の流行歌にはない美しさ。なので、こういう古いシャンソンが好き。このような気持ちは映画を観ても感じることだし、常に思うこと。だからと言って今を生きる私は懐古主義一辺倒に陥ることもなく、好きだと思うものに触れ、それらを堪能し喜ぶ。”温故知新”。私の生活の中で私が生きるためにいつまでも大切にしていたい。