Lotustyle trust yourself

〜内にあるエネルギーを解放して自分の道を進んでいこう〜

なにも考えない 3

2009年04月01日 | Weblog
なんだか、話が長くなっちゃいましたね。

とくにでかい話があるわけじゃないので期待しないでくださいね。


まぁ、中学を転校したらしたで目付けられるし、
高校行っちゃぁ、あんぽんたんな奴らと対立しちゃうし、
年齢とともに心は楽になってっていきましたけど、
自分の身を守る、安全な状況に持って行くことが常でしたから、
考えているのが当たり前、それが自然として生きてきたんですよ。


ところが!


ここに来て、“なにも考えない”ってのが議題にあがってるようなんですわ。



「べつに、考えなきゃいいんだから楽じゃん。」



そうだよね、
そう思うよね、
じゃ、そうするわ。



えりざべす



だ~か~らぁ、

ずーっとそうしてきたボクに、
なにも考えんな!っていきなり言われても、
これが結構しんどいのよ

だからって考えててもね、
余計な事まで範囲が広がっちゃったり、
悪い方に流れてって勝手に凹んでたりするから、
それも大変なんだ。

めんどくせーよね、
めんどくさいんだ、ほんと。

だからクリアしなきゃならない課題なんだろね。

どうやったら、考えないでいられるの?
心配しないでいられるの?
不安にならないでいられるの?

だれか教えてくらはい



最後まで読んでくれてありがとうございます

なにも考えない 2

2009年04月01日 | Weblog
ボク自身、はっきりと確認できてはないのですが、
その頃のボクが一人目のインナーチャイルドとして存在してます。

膝を抱えて(うつむき加減だったかな)座っていて、
何度か声をかけてあげるとケタケタと嬉しそうに笑っていたそうです。

インナーチャイルドのことを聞かせてもらった日に、
ちょうどその歳頃のほっそい男のコの夢を見たのははっきり覚えています。

花火大会のドォーンという音が聞こえてきたのでベランダに出るけど、
何かが邪魔して肝心の花火が見れない。
すごく見たいのに、
とても楽しみにしてたのに、
音だけしか聴こえない。

ボクにおぶさった男のコから大きな落胆が伝わってきました。
いつか、絶対見に行こうね!
必ず行こうね!って、
後ろからまわってくる腕に頬ずりをしたのです。

その日から、インナーチャイルドの癒しがスタートします。
その話はまた別の機会に。


さて。

そうですねぇ、
どうも“考える”ようになった原因は学校のそれだけとは限らないようです。

両親にはとても感謝してます。
今となっては、かなり本当の気持ちを伝える事が出来るようになりました。

母は、自分の子供と言えど愛情をかけることが出来なかった、
イヤだったと言います。

父は、プロボ-ラーという職業上、
大会を転々とするのでほぼ家にはいませんでした。
知識として父親と理解してはいても、
たまに帰ってくるその人を「おじさんが来た」という感覚です。

そのうえ二人とも、優しくありません。

小ちゃい頃、たまに家にいる父にキャッチボールを無理強いされます。

ところが、
“ほぅら○○、投げるぞぉ、しっかり受け取るんだぞ♪”
なんてもんじゃなく、
柔道とボーリングで鍛えた太い腕からの全力投球です。

もやしのような貧弱な子供が怯えるのは言うまでもありません。

突き指しようが手の平が痛かろうが必死で受けました。
“負けてたまるか”と
“このボールを受けてあげなきゃいけないんだ”の思いで。

また父の友人は取り締まる方と取り締まられる方の方が多く、
そのどちらからも一番質の悪い人物とされていました。
どれだけ厳つく言葉も荒々しいか想像してください。
はい、そんな感じです。


我が家にはアットホーム的なやさしさはありません。
みんな大好きで仲がいい家族愛もほとんどなかったでしょう。

それでも人として大事な多くの事を学ぶことができました。
あのキャッチボールがなかったら、
いつまで経ってもボクは芯のない人間だったでしょう。
“仁義”が近くになかったら、
礼を尽くすこともなかったかもしれません。

なによりも、
自分が死ぬかもしれないというのに、
命をかけて生んでくれた母には最大級の感謝を贈っても足りません。
(結果的には死産でボクが死んだんですけどね)

でも、広く一般的な親の愛には乏しく、
愛が欲しかったゆえ、先回りしたり、顔を伺うようになってたのです。

なにも考えない 1

2009年04月01日 | Weblog
できます?

意識している訳じゃないのですが、
ボクのアタマは常に何か考えています。
まるで考えない事がいけないことのように。

勤めていたとき、これは非常に役に立ちました。
とあるお店のランチタイムのようにごった返しても、
事前に様々なシミュレーションしておけば、
何か起きてもパニックになりません。
異様な要求を求めるクレームがあっても冷静に対処できるのです。

転ばぬ先の杖は何本有っても邪魔ではない。

いい結果を出しても自信を持てない小心者のボクには、
それが最大の防御策であり智慧であり、
それを実践し、褒められる結果を残してきました。

ビジネスの中では。。。



この思い癖、
常に考える基礎となったのはいつからなのかを辿ると、
記憶では小学生4年か5年生頃のようです。

それまでは、近所の子供達が集まって草野球を楽しみ、
内気な性格だったものの元気に遊んでいました。

5年生になり、クラス替えがあって、
新しいクラスメートに学校ごとにあった野球チームに誘われ入り、
そこから少しずつ歯車が狂い始めました。

虚言癖があるわけでもなく、じめじめした性格でもなく、
ごく自然にいて学校も楽しんでいたのですが、
野球チームに誘ったクラスメートを含む数人から、
いつしか攻撃の的となっていったんですね。

いま苦しんでいる子供達からしたら、かわいいものです。
文字通り“仲間はずれ”なだけで、
誰も口をきいてくれなかったり、
なんとなく白い目で見られたり、
みんな卑怯だなぁって思わされる程度でした。

でも、暇になれば“今度あいつ仲間はずれな”とされると、
外傷がなくとも相当な痛手を負います。

一度反旗を翻し、当の本人を同じような状況に身を置かせてから、
なくなりはしましたが、時は既に遅し。

すっかり、ボクは状況を先に先にと読むクセがつき、
感情を悟られないようにする術を会得し、
巻かれる事無く長いものに身を隠すことも出来るようになってしまってたのです。


同じパターンはありません

2009年04月01日 | Weblog
どこからやってきたものか定かでもなく
それは不意をつくように浮かびます。




朝焼けを袂に
渓谷の端に座っている数人の少年天使
顔を見合わせている上を
赤ちゃん天使が舞っている
誰も皆 純白の衣を纏い
茶褐色の岩と朝焼けが
暖かく 眩しい











ども、メルヘンです


め、めるへん.....て。



自分の懐にしっかり境界線を引いている私、
断りもなく土足で越えてくる者には、
容赦しない非情な人間でおりました。(maybe 過去形)

そんなアタクシ、
会ったこともない人にそんなあだ名をつけられ、
昨夜から笑わずにいられないでいますウププ

わりと、気に入ってます

今朝からちょっとした心配事が巡り、
ナーバスになっていたところ、
ボクのことを「あのメルヘンめ」と言ってたっちゅう話を、
思い出させてくれたおかげで一蹴できました。
アオちゃん、ありがとう


しかぁし、ご注意ください
それを許せるのはその人だけですから。
恋人や親にもさせませんよ
言わないでしょうけども

街角でボクに“あ!メルヘン!”なんて言おうものならば、
龍にボディシザースかけられますよ



さてさて、上のメッセージはどういう意味でしょうねぇ。。。
乞うご期待