コメントが入っているだけでも嬉しいのに、
とっても有り難いコメントを頂きました。
このブログを見てくれている方の中にも必要なことが書かれているようで、
コメントだけにしておくのは勿体ない気がしたので
こっちにも転載させて頂きました。
頂いたメールを、
シンプルに
素直な心持ちで、
何度も、何度も読み返してみました。
同時に「反復する、反復していい」
と教えてくれた聖羅さんの言葉を思い出しながら、
また、じっくりと
噛みしめるように読み返しました。
気づかないうちに、
糸の切れた凧か子供の手から放れた風船のように、
どこかを彷徨っていたのかもしれない。
極端になっていてバランスを崩していたのかも知れない。
残念ながら、
それを知る手だては持ち合わせていません。
なので、
“どうなの? そうなのかもな。
そうなってるのなら本線に戻らなきゃな。”と、
いまは自分に語りかけるばかりです。
厳しからず優しからず。
ボクにはその文面から他意は感じられなかったので、
本当に感謝してます。
たぶん、
お会いしたこともなく、
他人であるのに、
心配とは違うのでしょうけど、
わざわざお言葉をくださり、
ありがとうでは言い尽くせない感謝の気持ちでいっぱいです。
catさん ありがとうございます
はじめまして♪ いつも、興味深く拝見させて頂いています。
4/14日の書込みを見て感じたことを、そして、今日の更新を拝見して気になったことを
お伝えしたく、このたび、メールいたしました。
迷いは何時も己の中にあり、また答えもまた己の中にあります。
迷いの無いものは人でなく、迷いがあるから人なのです。
迷いがあるから、成長するのであり
迷いがなければ、成長はありません。
善も悪も人の中にあり、人はそれを行ったり来たりしている・・・
以前、美輪明宏さんがそう話されていたように・・・
善であろうと努力するのが人なのであり、
人は善そのものではありません。
また片方だけでは、『人』としてはカタワでしかありません。
美輪さんのように、すでに『人』としての領域を超えた者や、
江原さんのように、『人』の領域に留まりながらも、
あちらの世界を正しく理解し学ぶ者は、
ごく一部でしかありません。
バランスが取れていれば問題はありませんが、
偏りすぎると、そのバランスを正すべく、様々なコトが起こります。
繊細ゆえ、心配して多くのもの達が貴方の傍にいるようですけれど、
偏りすぎないよう、気よつけて下さい。
視えるモノ・視えないモノに、あまり振り回されないようにして下さい。
また、彼ら(精霊・妖精)は貴方が好きだから、傍にいる部分と、
面白そうだから・・・でいる部分もあります。
精霊や妖精は自然の気が凝ったものであり、意識体です。
彼らは人の生の世界と、近くて異なる次元に存在しているのです。
自分は『人』であるということ、忘れないで下さいね。
P.s 竜がお好きとのコトですが、あるサイトで見つけた写真のアドレス
お送りしますね。右上の写真ですョ♪
http://www.jccca.org/content/view/1019/653/