Lotustyle trust yourself

〜内にあるエネルギーを解放して自分の道を進んでいこう〜

今の自分、好きですか

2009年04月07日 | スピリチュアル
なかなかあったかくなりませんね、
気づいたらもう7日なんですね、
9日は満月なんですって。

集中的に瞑想することで、
満月のパワーが心の浄化を促進してくれるんですって

そんなこと言われたら、
大好きな人と一緒にいたくなっちゃうじゃないですか!
パワーも浄化力も増幅するに違いない
それに、そんな日に一緒に瞑想できるなんて素敵なことでしょう。。。

9日の深夜は心を許せる人と、
瞑想までしなくてもテレビや音楽は消して、
のんびりリラックスしてみてはいかがでしょう。
とっても心地良い時間が過ごせるはず
ぜひ。



       

今日の夢、久しぶりによく覚えていました。

なんつったって、出てきたのはクモ
手のひらサイズのでかいタランチュラ
しかも黒ベースでカラフル、
毛足が長くて子猫みたいにふわふわしてるの
嫌悪感はないんだけど、

くもーーー!
クモよーーー!!
クモがいるのよぉーーーと半パニ。

実は他にもクモがいるのね、
そっちは白いくてつるっとしてて・・・、わりとキュートなの。
でもクモはクモよーーー

途中カットするけど、
最終的に白いクモが宙に浮かびながらこっちに来るの
ボクはぎゃーぎゃー騒いでいるんだけど、逃げ場がないのね
そのコはな瞳をしながらどんどん近づいてきて、
左胸?肩?に

“ぴとっ”。

失禁、
ぁぅ失礼、
失神寸前で


疲れたわ


その前に見てた夢も、ヒステリックに叫んでたりしてたので、
少しばかり自分が心配になっちゃいました。

夢辞典なんかを見てみると様々な意味があるみたいね。
その中からと感じるキーワードを繋げると、
吉報と注意点みたいな。

はい、しかと心に留めておきます





でも、





だからって、





・・・・・・・・・・




もっと、簡単に教えてくださいよ



クモは

いぃーーーーーーーーーやぁぁぁーーーーーーーーー
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気持ちいいアオ空

2009年04月03日 | Weblog
部屋中のものすべて、
がーーーっと洗濯したい気分です。
ついでに頭と心の中も
バシャバシャって出来たら爽快だろうなー





こないだのテーマ「なにも考えない」の件ですが・・・、

会話、コメント、メールのあちこちにヒントが眠っていました。
そのヒントを“そうか、そういうことなんだな、有り難いな”
なんて思うものの、素直に納得できないでいました。
見て見ぬ振り状態です。

それでも天使やガイドさん達は、
今の自分に必要なもの、
乗り越えなきゃならないもの、
打破すべき無用の産物のために、
色んな形で気づかせようと働いてくれます。

ヒント以外にも、助けを出してくれるのです。

ボクの場合、ゆってぃと違って小さな事でも気にするので、
やわらかい表現で届けてくれます。
やさしい言葉でキッチリと教えてくれました。

感謝なんてもんじゃありません。

そこまでして頂いたのですから、
自分で作った幻の壁をクリアして、より自分をクリアな状態にしなきゃです。



なんか、


いけそうな気がするぅ~




「なぜ、同じような事が続くの!? もう、二度とイヤ!」
なんて経験、ありませんか?
それは、クリアしなければならない課題に直面してる時だと思います。
迂回する、やり過ごす、しっかり向き合う。
取捨選択は自由です。
でも、捨てた所でまた同じ課題が遠からずやってくるのですね。
だって、いつか克服しなきゃならないことですもの。

「善は急げ」

ならば気づいた時にやってしまいましょうぜ
ヒントは絶対近くに存在してます
しかも見て知ってる事の方が多い。
必要な苦しみはあるようですが、
不必要な苦しみに苛まされることはありませんよね。

小さい楔でも、
打ち込んでしまえば崩れてくは案外早いかも

なんだか、心が明るくワクワクしてきました
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「8・8・8」

2009年04月02日 | スピリチュアル
はい、でました。

8が三つ、
丁寧にカギカッコまで付けてくれてる。

なんじゃらほいヽ(゜∀゜)メ(゜∀゜)メ(゜∀゜)ノ



『数字は天使からのメッセージ』


調べてみましたにょ

8 Financial abundance is coming to you now.
あなたに今ありあまるほどの収穫 豊かさが訪れます。



ほほう!
そりゃ、ありがてっす(´・∀・`)

888は?

あなたの人生のひとつの章が終わりを告げようとしています。
そしてこれはあなたに準備ができるよう、警告をしているというしるしです。
この数字の連続は、感情、仕事、あるいは恋愛関係の
ある段階を終えようとしている、ということも意味しえます。
さらにトンネルの向こうには、光があることも意味しています。
そしてさらに
「作物は実っている。収穫して楽しむのを先に延ばさないように」
ということでもあります。
言い換えるなら、何か行動を起こしたり、
自分の労働の実りを楽しむのを後回しにしてはいけないということです。












なんか












キタ━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━!!!!!





なになになに!
どうなるの?
なにがおきるの!?
おしえてーーー(;゜∀゜)
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なにも考えない 3

2009年04月01日 | Weblog
なんだか、話が長くなっちゃいましたね。

とくにでかい話があるわけじゃないので期待しないでくださいね。


まぁ、中学を転校したらしたで目付けられるし、
高校行っちゃぁ、あんぽんたんな奴らと対立しちゃうし、
年齢とともに心は楽になってっていきましたけど、
自分の身を守る、安全な状況に持って行くことが常でしたから、
考えているのが当たり前、それが自然として生きてきたんですよ。


ところが!


ここに来て、“なにも考えない”ってのが議題にあがってるようなんですわ。



「べつに、考えなきゃいいんだから楽じゃん。」



そうだよね、
そう思うよね、
じゃ、そうするわ。



えりざべす



だ~か~らぁ、

ずーっとそうしてきたボクに、
なにも考えんな!っていきなり言われても、
これが結構しんどいのよ

だからって考えててもね、
余計な事まで範囲が広がっちゃったり、
悪い方に流れてって勝手に凹んでたりするから、
それも大変なんだ。

めんどくせーよね、
めんどくさいんだ、ほんと。

だからクリアしなきゃならない課題なんだろね。

どうやったら、考えないでいられるの?
心配しないでいられるの?
不安にならないでいられるの?

だれか教えてくらはい



最後まで読んでくれてありがとうございます
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なにも考えない 2

2009年04月01日 | Weblog
ボク自身、はっきりと確認できてはないのですが、
その頃のボクが一人目のインナーチャイルドとして存在してます。

膝を抱えて(うつむき加減だったかな)座っていて、
何度か声をかけてあげるとケタケタと嬉しそうに笑っていたそうです。

インナーチャイルドのことを聞かせてもらった日に、
ちょうどその歳頃のほっそい男のコの夢を見たのははっきり覚えています。

花火大会のドォーンという音が聞こえてきたのでベランダに出るけど、
何かが邪魔して肝心の花火が見れない。
すごく見たいのに、
とても楽しみにしてたのに、
音だけしか聴こえない。

ボクにおぶさった男のコから大きな落胆が伝わってきました。
いつか、絶対見に行こうね!
必ず行こうね!って、
後ろからまわってくる腕に頬ずりをしたのです。

その日から、インナーチャイルドの癒しがスタートします。
その話はまた別の機会に。


さて。

そうですねぇ、
どうも“考える”ようになった原因は学校のそれだけとは限らないようです。

両親にはとても感謝してます。
今となっては、かなり本当の気持ちを伝える事が出来るようになりました。

母は、自分の子供と言えど愛情をかけることが出来なかった、
イヤだったと言います。

父は、プロボ-ラーという職業上、
大会を転々とするのでほぼ家にはいませんでした。
知識として父親と理解してはいても、
たまに帰ってくるその人を「おじさんが来た」という感覚です。

そのうえ二人とも、優しくありません。

小ちゃい頃、たまに家にいる父にキャッチボールを無理強いされます。

ところが、
“ほぅら○○、投げるぞぉ、しっかり受け取るんだぞ♪”
なんてもんじゃなく、
柔道とボーリングで鍛えた太い腕からの全力投球です。

もやしのような貧弱な子供が怯えるのは言うまでもありません。

突き指しようが手の平が痛かろうが必死で受けました。
“負けてたまるか”と
“このボールを受けてあげなきゃいけないんだ”の思いで。

また父の友人は取り締まる方と取り締まられる方の方が多く、
そのどちらからも一番質の悪い人物とされていました。
どれだけ厳つく言葉も荒々しいか想像してください。
はい、そんな感じです。


我が家にはアットホーム的なやさしさはありません。
みんな大好きで仲がいい家族愛もほとんどなかったでしょう。

それでも人として大事な多くの事を学ぶことができました。
あのキャッチボールがなかったら、
いつまで経ってもボクは芯のない人間だったでしょう。
“仁義”が近くになかったら、
礼を尽くすこともなかったかもしれません。

なによりも、
自分が死ぬかもしれないというのに、
命をかけて生んでくれた母には最大級の感謝を贈っても足りません。
(結果的には死産でボクが死んだんですけどね)

でも、広く一般的な親の愛には乏しく、
愛が欲しかったゆえ、先回りしたり、顔を伺うようになってたのです。
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なにも考えない 1

2009年04月01日 | Weblog
できます?

意識している訳じゃないのですが、
ボクのアタマは常に何か考えています。
まるで考えない事がいけないことのように。

勤めていたとき、これは非常に役に立ちました。
とあるお店のランチタイムのようにごった返しても、
事前に様々なシミュレーションしておけば、
何か起きてもパニックになりません。
異様な要求を求めるクレームがあっても冷静に対処できるのです。

転ばぬ先の杖は何本有っても邪魔ではない。

いい結果を出しても自信を持てない小心者のボクには、
それが最大の防御策であり智慧であり、
それを実践し、褒められる結果を残してきました。

ビジネスの中では。。。



この思い癖、
常に考える基礎となったのはいつからなのかを辿ると、
記憶では小学生4年か5年生頃のようです。

それまでは、近所の子供達が集まって草野球を楽しみ、
内気な性格だったものの元気に遊んでいました。

5年生になり、クラス替えがあって、
新しいクラスメートに学校ごとにあった野球チームに誘われ入り、
そこから少しずつ歯車が狂い始めました。

虚言癖があるわけでもなく、じめじめした性格でもなく、
ごく自然にいて学校も楽しんでいたのですが、
野球チームに誘ったクラスメートを含む数人から、
いつしか攻撃の的となっていったんですね。

いま苦しんでいる子供達からしたら、かわいいものです。
文字通り“仲間はずれ”なだけで、
誰も口をきいてくれなかったり、
なんとなく白い目で見られたり、
みんな卑怯だなぁって思わされる程度でした。

でも、暇になれば“今度あいつ仲間はずれな”とされると、
外傷がなくとも相当な痛手を負います。

一度反旗を翻し、当の本人を同じような状況に身を置かせてから、
なくなりはしましたが、時は既に遅し。

すっかり、ボクは状況を先に先にと読むクセがつき、
感情を悟られないようにする術を会得し、
巻かれる事無く長いものに身を隠すことも出来るようになってしまってたのです。

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同じパターンはありません

2009年04月01日 | Weblog
どこからやってきたものか定かでもなく
それは不意をつくように浮かびます。




朝焼けを袂に
渓谷の端に座っている数人の少年天使
顔を見合わせている上を
赤ちゃん天使が舞っている
誰も皆 純白の衣を纏い
茶褐色の岩と朝焼けが
暖かく 眩しい











ども、メルヘンです


め、めるへん.....て。



自分の懐にしっかり境界線を引いている私、
断りもなく土足で越えてくる者には、
容赦しない非情な人間でおりました。(maybe 過去形)

そんなアタクシ、
会ったこともない人にそんなあだ名をつけられ、
昨夜から笑わずにいられないでいますウププ

わりと、気に入ってます

今朝からちょっとした心配事が巡り、
ナーバスになっていたところ、
ボクのことを「あのメルヘンめ」と言ってたっちゅう話を、
思い出させてくれたおかげで一蹴できました。
アオちゃん、ありがとう


しかぁし、ご注意ください
それを許せるのはその人だけですから。
恋人や親にもさせませんよ
言わないでしょうけども

街角でボクに“あ!メルヘン!”なんて言おうものならば、
龍にボディシザースかけられますよ



さてさて、上のメッセージはどういう意味でしょうねぇ。。。
乞うご期待
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