ウイキペディアより抜粋
『そうか、もう君はいないのか』(そうか、もうきみはいないのか)は、城山三郎の遺稿を編集したエッセイ。妻の容子との結婚後、2000年2月24日の別れまでの日々について記されている。2008年、新潮社刊。2009年には、TBS系列でテレビドラマ化された。
--------------------------------------------------------------------------
こんな風に夫に妻が愛されるとはなんと幸せなことだろう。
作家の夫を支え、明るく楽しく夫婦として暮らしてこられた分、妻が病に倒れて先に亡くなった後の夫の辛さ、寂しさがこの作品から伝わってくる。
1度目に観たのは、今年3月で、父は存命していた。
父も去年2月に母を亡くして、このように寂しかったのか。
母の遺影は、美しい笑顔で母の一番いい表情だと父は喜んでいた。
母との思い出をずっと語り、褒めていた。
娘の私にそれを語ることが、父の幸せな時間だったような気がする。
そして、父も今年6月に、暮らしている施設の人に、「もういいんじゃ」と伝え、枯れることを覚悟して命を終えた。
その最後の日々に添うことができて、自分も「いいんだよね」という気持ちになっている。
今度、自分が寄り添うパートナーの方とこのように静かに愛し合う日々を送ることができるような人間になりたいと願っている。
あ~、いいドラマ、いいドキュメンタリーに出会えて、幸せだ。
すべてに感謝。
『そうか、もう君はいないのか』(そうか、もうきみはいないのか)は、城山三郎の遺稿を編集したエッセイ。妻の容子との結婚後、2000年2月24日の別れまでの日々について記されている。2008年、新潮社刊。2009年には、TBS系列でテレビドラマ化された。
--------------------------------------------------------------------------
こんな風に夫に妻が愛されるとはなんと幸せなことだろう。
作家の夫を支え、明るく楽しく夫婦として暮らしてこられた分、妻が病に倒れて先に亡くなった後の夫の辛さ、寂しさがこの作品から伝わってくる。
1度目に観たのは、今年3月で、父は存命していた。
父も去年2月に母を亡くして、このように寂しかったのか。
母の遺影は、美しい笑顔で母の一番いい表情だと父は喜んでいた。
母との思い出をずっと語り、褒めていた。
娘の私にそれを語ることが、父の幸せな時間だったような気がする。
そして、父も今年6月に、暮らしている施設の人に、「もういいんじゃ」と伝え、枯れることを覚悟して命を終えた。
その最後の日々に添うことができて、自分も「いいんだよね」という気持ちになっている。
今度、自分が寄り添うパートナーの方とこのように静かに愛し合う日々を送ることができるような人間になりたいと願っている。
あ~、いいドラマ、いいドキュメンタリーに出会えて、幸せだ。
すべてに感謝。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます