ありがとうのブログ

毎日、家族や仕事関係の人たちとのふれあいで感謝していることをつづります。

「メイジ―の瞳」を観て考える

2016年07月26日 19時38分04秒 | Weblog
3回以上、この映画を観た。
メイジ―という6歳の女の子は、両親の都合で自分がいて良い場所が移動する。
いがみあう両親の声を夜中に聞き、学校に迎えにくる親が玄関で自分を奪い合う。
別れた親がそれぞれ自分の都合でパートナーにベビーシッターをしてもらって、自分達は仕事に邁進する。
安心して起こされないで眠るベッドをこのメイジ―にあげたいと思う。

さて、自分はこのメイジ―演じる子役の子の瞳に、幼少の息子を観る。
今書いているPC机の上に置いている、幼少の息子の写真。
この想い出が今の私を支える。
私を必要として、私の作った料理やお菓子を食べてくれていた。

小学校低学年の息子を、週に半分は、夜一人置いて勉強会に出る。
彼はチャンネルを替える操作が分からず、TVを点けると最初に映るNHKの番組を聞きながら、絵を描いたり折り紙を折って、私の帰りを待っていた。
彼の言葉が大人びているのは、NHKの番組のお蔭だ。

勉強会に出ていなければ、今の自分はなかったかもしれない。
当時よく勉強していた、コーチングやマネジメント。
それが今、花開いている。

ただ、息子は、母にそばに居て欲しかっただろう。
毎晩、一人にしなかっただけが、まだましだった。
夜、眠る前に絵本を読んでいた時代が懐かしい。
息子と一緒の布団に眠っていたのは、小学校4年生までだ。
彼の体温や柔らかい手足が自分をなぐさめていた。

小学5年生から、自分一人で自分の部屋で眠ると言い出して、一人で眠るようになってから、自分は息子が自立して自分の元から離れることを覚悟した。
今がその時期だ。
それでいいのだ。

親子の縁は一生なのだから。
息子の幸せを一生見守る。
彼を一生愛する自信がある。
どんなに反抗しようが、私のお腹から出産したのだ。
私が愛さずして、誰が愛するか。

すべてに感謝。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿