まず、母に会う。
昼食後のお昼寝時間だったが、ベッドに横になっている母の手を握りながら、おしゃべり。ずっと同じ話を繰り返すけれど、笑顔で言葉を出してくるから、こちらも淡々と受け答える。
私のカラダも暖かくなってきて眠くなったのを、さすが母だね、寝床に入るかいと言ってくる。
ありがたく布団の中に入る。
冷たい母の足を私の足の体温で暖める。喜ぶ。
30分ぐらいウトウトしたところで、トイレと言うことで、起き上がり、母とのお昼寝タイムは終了。
母がトイレに入っている間に、ホームを出る。
私がいたことも母の記憶から無くなっているので、この方法でホームを出たほうが良いとの判断。見送ってもらうと、自分も帰りたがる。ごめんね、おかん。
次は父のホーム。
徒歩10分のバスターミナルの時刻表を見ると、30分待ち。歩こう、と決めて歩き出して、着いたのが1時間後。たどり着くのが同じだったな、と思うが、カロリーは消費されたからいいのだ。
父は元気そうだった。
だが、少しずつ妄想めいたことが強くなってきた。
過去の人を恨んだり他の入居者の方の愚痴がてんこ盛り。
聞き逃して、サッカーのTV中継画面を見る。
サッカーの感動的なシーンで試合終了を告げる。
さて、帰宅しよう、と腰をあげる。
私が部屋を出るというのに、まだ恨み話を言っているので、「美味しい食事とお菓子と暖かい部屋で幸せなことを数えてね。私はできることしかできないので」と言い切って部屋のドアを締める。
いつも見送る父が、一緒に来なかった。私のいい方がきつかったのかもしれない。
父のホームの責任者の方が、玄関で父の腰痛の状況を報告をされる。
どういう時に、医者へ連れて行きますかと言うので、「痛い時にお願いします」と伝える。大丈夫な時に数日前に痛かったと受診するのは、ただ単に湿布をもらうだけだろう。
外に出ると寒風。0度かな。気持ちはマイナスくらいになっていたが、バス停まで15分歩く。バス時間まで10分。待っていると寒いので、次のバス停まで歩く。数人の人が待っている。20分ほど待ってバス到着。体が冷え切った。そうだ、国道は札幌ドームのイベントで渋滞していたのだった。帰りも歩けば良かったと計算ミスを後悔。
バス内は暖房が効いていたと思うが、10分くらいの乗車時間では体が暖まらなかった。
バスターミナルから徒歩30分で自宅へ。じっと待っているのだったら、少しでも歩いて早く帰宅したほうがいい。
自宅近くのスーパーで、夕食は気持ちを軽めにしようと惣菜など買い求める。
帰宅したら、家族はすでにあるもので食べていた。でも惣菜を食べてくれたので、ほっとする。
帰り道、歩きながら、きっと良い事あるよ、と自分に言い聞かせてきた。
家族が元気で私もいろいろな人々と良い人間関係を築けているではないか。
両親との交流が少し寂しいことなんて、数えるなよ!と自分に言い聞かせる。
生きていてくれて話すことができるからいいじゃないか。
私を育ててくれて良い教育を授けてくれたおかげで、今の幸せがある。
感謝しかないではないか。
今の両親の姿を見て、人生を考えさせてくれる良い教訓をもらっているではないか。
人生はただ一度。
死は誰にでも訪れる。老いもだ。自分がどのような終末を迎えるかは、わからない。
だから、情熱をもって仕事に取り組み、社会へ感謝をし、自分がどのような終末を迎えようが受け入れるしかない、ということを学んでいるのだよ。
今、という時間を一生懸命、笑ったり、仕事をしたり、遊んだり、よく眠ったりをしたいね。
知り合いのおばあ様は、90歳くらいだと思うが、足が不自由なだけで、美味しい食事とにこやかな会話をされている。この方は宗教を信じ、家族の幸せを思いながら、日々を楽しく暮らされているようだ。しかし、宗教を誘うわけではなく、にこやかにされている。
この境地はいいなあ、とあこがれる。
今日はいろいろ考えることができて、よかった。
全てから学ぶ。
感謝
昼食後のお昼寝時間だったが、ベッドに横になっている母の手を握りながら、おしゃべり。ずっと同じ話を繰り返すけれど、笑顔で言葉を出してくるから、こちらも淡々と受け答える。
私のカラダも暖かくなってきて眠くなったのを、さすが母だね、寝床に入るかいと言ってくる。
ありがたく布団の中に入る。
冷たい母の足を私の足の体温で暖める。喜ぶ。
30分ぐらいウトウトしたところで、トイレと言うことで、起き上がり、母とのお昼寝タイムは終了。
母がトイレに入っている間に、ホームを出る。
私がいたことも母の記憶から無くなっているので、この方法でホームを出たほうが良いとの判断。見送ってもらうと、自分も帰りたがる。ごめんね、おかん。
次は父のホーム。
徒歩10分のバスターミナルの時刻表を見ると、30分待ち。歩こう、と決めて歩き出して、着いたのが1時間後。たどり着くのが同じだったな、と思うが、カロリーは消費されたからいいのだ。
父は元気そうだった。
だが、少しずつ妄想めいたことが強くなってきた。
過去の人を恨んだり他の入居者の方の愚痴がてんこ盛り。
聞き逃して、サッカーのTV中継画面を見る。
サッカーの感動的なシーンで試合終了を告げる。
さて、帰宅しよう、と腰をあげる。
私が部屋を出るというのに、まだ恨み話を言っているので、「美味しい食事とお菓子と暖かい部屋で幸せなことを数えてね。私はできることしかできないので」と言い切って部屋のドアを締める。
いつも見送る父が、一緒に来なかった。私のいい方がきつかったのかもしれない。
父のホームの責任者の方が、玄関で父の腰痛の状況を報告をされる。
どういう時に、医者へ連れて行きますかと言うので、「痛い時にお願いします」と伝える。大丈夫な時に数日前に痛かったと受診するのは、ただ単に湿布をもらうだけだろう。
外に出ると寒風。0度かな。気持ちはマイナスくらいになっていたが、バス停まで15分歩く。バス時間まで10分。待っていると寒いので、次のバス停まで歩く。数人の人が待っている。20分ほど待ってバス到着。体が冷え切った。そうだ、国道は札幌ドームのイベントで渋滞していたのだった。帰りも歩けば良かったと計算ミスを後悔。
バス内は暖房が効いていたと思うが、10分くらいの乗車時間では体が暖まらなかった。
バスターミナルから徒歩30分で自宅へ。じっと待っているのだったら、少しでも歩いて早く帰宅したほうがいい。
自宅近くのスーパーで、夕食は気持ちを軽めにしようと惣菜など買い求める。
帰宅したら、家族はすでにあるもので食べていた。でも惣菜を食べてくれたので、ほっとする。
帰り道、歩きながら、きっと良い事あるよ、と自分に言い聞かせてきた。
家族が元気で私もいろいろな人々と良い人間関係を築けているではないか。
両親との交流が少し寂しいことなんて、数えるなよ!と自分に言い聞かせる。
生きていてくれて話すことができるからいいじゃないか。
私を育ててくれて良い教育を授けてくれたおかげで、今の幸せがある。
感謝しかないではないか。
今の両親の姿を見て、人生を考えさせてくれる良い教訓をもらっているではないか。
人生はただ一度。
死は誰にでも訪れる。老いもだ。自分がどのような終末を迎えるかは、わからない。
だから、情熱をもって仕事に取り組み、社会へ感謝をし、自分がどのような終末を迎えようが受け入れるしかない、ということを学んでいるのだよ。
今、という時間を一生懸命、笑ったり、仕事をしたり、遊んだり、よく眠ったりをしたいね。
知り合いのおばあ様は、90歳くらいだと思うが、足が不自由なだけで、美味しい食事とにこやかな会話をされている。この方は宗教を信じ、家族の幸せを思いながら、日々を楽しく暮らされているようだ。しかし、宗教を誘うわけではなく、にこやかにされている。
この境地はいいなあ、とあこがれる。
今日はいろいろ考えることができて、よかった。
全てから学ぶ。
感謝
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