今日は7時過ぎにお寝坊起床。
昨日の3時間水泳の余波か、全身が重い。
トレーニングして日常の生活に支障が出るのは良くない。
だが、現実に筋肉疲労があって、大掃除を顔晴る元気がなかった。
でも日々の習慣の掃除や他のことはやったから、まだ良しとしよう。
息子は、ずっとスマホで動画を見ている。
部屋の片づけもせずに、1日に15時間以上スマホを観ているってどうかと思って、つい口にした。
「昨日も何もせず、今日も挽回せずってどうなのか」
「関係ねーし、もう構わないでほしい」
「それなら、勝手にしなさい。もう何も関わらないから、こずかいも」
夕食は、腹減ったというので、用意し、息子の机の上にトレイで置いた。
年末に喧嘩をしている場合ではないのだが、1日に15時間スマホを観ている息子に注意しない親はいない。
先日の勉強合宿の目的は、スマホ依存を抜け出すために、スマホを教師に預けて講習を受けるという高校側が企画した勉強会。
だが、帰宅してまだ元のさや。
息子の人生は息子のもの、親は関与しない、という姿勢をもっと強く表現していく。
こういう時もあると受け入れる。
ダメなものはダメと言うのも、親だ。
口うるさく言うのではなく、突き放して見守るしかない。
子は子の人生、自分は自分の人生を歩む。
もう、精一杯息子を育てた。
あと1年、顔晴ろう。
自分は息子のために生きるのはもう止めよう。
自分は自分のために生きよう。
今日はちょっと辛い。
こんな気弱なことを書くのは、初めてに近い。
息子にどうあってほしいか。
自分で自分の人生を決めて歩んでほしいだけだ。
猛勉強しろとは言わない。
ただ、自分で決めて地に足を着けて進んでほしい。
実を言うと、自分はいつ死んでもいいと思っている。
もう息子を育てたつもりだから。
鮭が産卵を終えて、川の流れに沿って大海へ流れていくのと同様、お役目は終わったような気になっている。
ただ、自分を必要としてくれている仕事や友人がいて、なんとか顔晴って生きている。
息子はもう自分を金を与える人間としか見ていないと気づいている。
コミュニケーションを拒否しているから。
こういう親子関係にしたのは、自分のせいだろう。
学校の成績は、悪くもないが、今のままでは国立は無理だ。
公立はもしかしたら、と思うが、自然の流れだ。
コミュニケーションのない親子は寂しい。
男の子はこんなもんだと受け入れてきたが、外では良い息子に映っている息子が家ではほとんど親と話さない。
こんな息子に育てたのも自分だ。
何が良くなかったのだろう。
先日の担任教師との面談で、教師も母親とほとんど話さなかったという。
でもやることをやって国立大学へ行き、なりたい教師になったのだから、自分で決めた人生だ。
だれもが自分の決めた人生を歩んでいるとは思わない。
だが、滅多にしない親の注意を、あそこまで拒否するのなら、自分にも考えがある、とこれは切れたということか。
親子にもっと距離ができた。
これでいいのだろう。
息子のことを気にせず、仕事をしようか。
息子一番で考えて生きてきたことを後悔はしない。
でも今日でその生き方はもういい、と思った。
今日のこのブログは、明日書きかえるかもしれない。
でも今日はここで毒を吐かせてもらった。
これを読んでくださった方、ありがとうございます。
シングルマザーの自分はこんなもんです。
人のために、家族のためにと生きてきたつもりだが、自分の思い通りになってほしいと願ってそのとおりではないと、切れてしまう自分。
ヒステリックになってはいないと思うが、静かに息子に最後通牒を出したつもりだ。
これもすべて自分の学び。
良いほうになっていくと信じている。
自暴自棄ってこういう気分だろう。
振り子のように、今の気分から好転すればいいな。
この出来事で何かを教えてくださるのでしょう。
昼間のやり取りからも、自分は忍耐の時期だ。
年末の今日の出来事は、きっと良いほうに行くからだと信じる。
寂しいが、それも受け入れる。
今日も家族皆が生かされていることに感謝。
昨日の3時間水泳の余波か、全身が重い。
トレーニングして日常の生活に支障が出るのは良くない。
だが、現実に筋肉疲労があって、大掃除を顔晴る元気がなかった。
でも日々の習慣の掃除や他のことはやったから、まだ良しとしよう。
息子は、ずっとスマホで動画を見ている。
部屋の片づけもせずに、1日に15時間以上スマホを観ているってどうかと思って、つい口にした。
「昨日も何もせず、今日も挽回せずってどうなのか」
「関係ねーし、もう構わないでほしい」
「それなら、勝手にしなさい。もう何も関わらないから、こずかいも」
夕食は、腹減ったというので、用意し、息子の机の上にトレイで置いた。
年末に喧嘩をしている場合ではないのだが、1日に15時間スマホを観ている息子に注意しない親はいない。
先日の勉強合宿の目的は、スマホ依存を抜け出すために、スマホを教師に預けて講習を受けるという高校側が企画した勉強会。
だが、帰宅してまだ元のさや。
息子の人生は息子のもの、親は関与しない、という姿勢をもっと強く表現していく。
こういう時もあると受け入れる。
ダメなものはダメと言うのも、親だ。
口うるさく言うのではなく、突き放して見守るしかない。
子は子の人生、自分は自分の人生を歩む。
もう、精一杯息子を育てた。
あと1年、顔晴ろう。
自分は息子のために生きるのはもう止めよう。
自分は自分のために生きよう。
今日はちょっと辛い。
こんな気弱なことを書くのは、初めてに近い。
息子にどうあってほしいか。
自分で自分の人生を決めて歩んでほしいだけだ。
猛勉強しろとは言わない。
ただ、自分で決めて地に足を着けて進んでほしい。
実を言うと、自分はいつ死んでもいいと思っている。
もう息子を育てたつもりだから。
鮭が産卵を終えて、川の流れに沿って大海へ流れていくのと同様、お役目は終わったような気になっている。
ただ、自分を必要としてくれている仕事や友人がいて、なんとか顔晴って生きている。
息子はもう自分を金を与える人間としか見ていないと気づいている。
コミュニケーションを拒否しているから。
こういう親子関係にしたのは、自分のせいだろう。
学校の成績は、悪くもないが、今のままでは国立は無理だ。
公立はもしかしたら、と思うが、自然の流れだ。
コミュニケーションのない親子は寂しい。
男の子はこんなもんだと受け入れてきたが、外では良い息子に映っている息子が家ではほとんど親と話さない。
こんな息子に育てたのも自分だ。
何が良くなかったのだろう。
先日の担任教師との面談で、教師も母親とほとんど話さなかったという。
でもやることをやって国立大学へ行き、なりたい教師になったのだから、自分で決めた人生だ。
だれもが自分の決めた人生を歩んでいるとは思わない。
だが、滅多にしない親の注意を、あそこまで拒否するのなら、自分にも考えがある、とこれは切れたということか。
親子にもっと距離ができた。
これでいいのだろう。
息子のことを気にせず、仕事をしようか。
息子一番で考えて生きてきたことを後悔はしない。
でも今日でその生き方はもういい、と思った。
今日のこのブログは、明日書きかえるかもしれない。
でも今日はここで毒を吐かせてもらった。
これを読んでくださった方、ありがとうございます。
シングルマザーの自分はこんなもんです。
人のために、家族のためにと生きてきたつもりだが、自分の思い通りになってほしいと願ってそのとおりではないと、切れてしまう自分。
ヒステリックになってはいないと思うが、静かに息子に最後通牒を出したつもりだ。
これもすべて自分の学び。
良いほうになっていくと信じている。
自暴自棄ってこういう気分だろう。
振り子のように、今の気分から好転すればいいな。
この出来事で何かを教えてくださるのでしょう。
昼間のやり取りからも、自分は忍耐の時期だ。
年末の今日の出来事は、きっと良いほうに行くからだと信じる。
寂しいが、それも受け入れる。
今日も家族皆が生かされていることに感謝。
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