グループホームに住む父の元に、仏壇があって、母の月命日には、毎月お参りに行く。
父は、毎朝、母の仏前に水をあげて、仏様を見守っている。
両親の老い方から、自分は学ぶ。
父は86歳。
私の息子が生まれた時に、腕の怪我や体調が良くないこともあって、68歳で退職した。
最後は、お土産用などのお菓子工場で、お菓子を作っていた。
重い餡子の荷をかついで、体を使っての仕事が無理になったのだ。
腕は職業病か、今も箸を上げるにも不自由している。
無理してよく働き、体を酷使しただけでケアをしなかったので、不自由になった。
働くことが何よりも好きだったので、退職した時は、何をやって1日を過ごしていいか、わからなかっただろうなあと思う。
母も一緒に仕事を辞めていた。
母は糖尿病で片目が不自由になっていた。
温泉旅館の仲居を最後の仕事でしていたが、着物を着て膝をついて立ちあがるのが厳しいくらい膝を痛めていたが、それを我慢して続けていたが、片目がよく見えなくなって、旅館の宿泊客にお茶を入れる際に、お茶碗からお茶がこぼれることが多くなって、自分で引退を決めたのだった。
ちょうどそこに、遅い私の出産が重なって、私と当時いた子どもの父親と3人のマンションに一緒に住んで、孫の面倒を見ながら同居を試験的にしてみた。
母と当時の夫がまったく相容れないほど対立して、両親は故郷の家に私の産後1か月で帰った。
私が出産で入院して産後のいろいろな数値が良くなくて、入院が長引きそうになった時、元夫が、早く帰ってきてほしい、と強く言ってきた。
母から別の愚痴不満を聞いていたので、その日から私はおっぱいが出なくなった。
母はオカシイことはオカシイとストレートに伝えて、コミュニケーションで積極的に問題解決をしていくタイプで、元夫は、プライドが高い方だったので、オカシイと言われた時点で、心を閉じて、話をしなくなる人だった。
孫の子育てを手伝うというつもりで、仕事を辞めたが、田舎に帰って、自由を満喫して、二人で競艇に通い出した。
経済的に余裕はないはずなのに、刺激と楽しみを二人で見つけたようだった。
両親の年金の使い方について、何も言わない。
ただ、貯金が全く無くなるくらい、競艇に夢中になったようだった。
65歳、68歳まで二人は働きどうしできて、借金もおおかた返したのだから、いいのだろう。
だが、二人は、認知症になり、特に母はアルツハイマー症になったので、家事ができなくなっていた。
父だけ競艇に行き、母は一人で留守番をしていたようだ。
こういう両親の暮らしを知ると、私は、できるだけ最後まで収入を得るような仕事をしていく。
好きなことを仕事にしているのだから、体が続く限り、できる仕事をしようと思っている。
年金だけでは暮らせないから。
仕事ができなくなったら、子どもに迷惑をかけないように、命をたたむ準備をしようかと考える。
もちろん、再婚も考えるが、最後まで、何か運動のトレーニングをして、無理せず、楽しくスポーツをしながら、仕事をしようと心掛ける。
まずは、腰痛を治すことを一番に、暮らす。
すべてに感謝。
父は、毎朝、母の仏前に水をあげて、仏様を見守っている。
両親の老い方から、自分は学ぶ。
父は86歳。
私の息子が生まれた時に、腕の怪我や体調が良くないこともあって、68歳で退職した。
最後は、お土産用などのお菓子工場で、お菓子を作っていた。
重い餡子の荷をかついで、体を使っての仕事が無理になったのだ。
腕は職業病か、今も箸を上げるにも不自由している。
無理してよく働き、体を酷使しただけでケアをしなかったので、不自由になった。
働くことが何よりも好きだったので、退職した時は、何をやって1日を過ごしていいか、わからなかっただろうなあと思う。
母も一緒に仕事を辞めていた。
母は糖尿病で片目が不自由になっていた。
温泉旅館の仲居を最後の仕事でしていたが、着物を着て膝をついて立ちあがるのが厳しいくらい膝を痛めていたが、それを我慢して続けていたが、片目がよく見えなくなって、旅館の宿泊客にお茶を入れる際に、お茶碗からお茶がこぼれることが多くなって、自分で引退を決めたのだった。
ちょうどそこに、遅い私の出産が重なって、私と当時いた子どもの父親と3人のマンションに一緒に住んで、孫の面倒を見ながら同居を試験的にしてみた。
母と当時の夫がまったく相容れないほど対立して、両親は故郷の家に私の産後1か月で帰った。
私が出産で入院して産後のいろいろな数値が良くなくて、入院が長引きそうになった時、元夫が、早く帰ってきてほしい、と強く言ってきた。
母から別の愚痴不満を聞いていたので、その日から私はおっぱいが出なくなった。
母はオカシイことはオカシイとストレートに伝えて、コミュニケーションで積極的に問題解決をしていくタイプで、元夫は、プライドが高い方だったので、オカシイと言われた時点で、心を閉じて、話をしなくなる人だった。
孫の子育てを手伝うというつもりで、仕事を辞めたが、田舎に帰って、自由を満喫して、二人で競艇に通い出した。
経済的に余裕はないはずなのに、刺激と楽しみを二人で見つけたようだった。
両親の年金の使い方について、何も言わない。
ただ、貯金が全く無くなるくらい、競艇に夢中になったようだった。
65歳、68歳まで二人は働きどうしできて、借金もおおかた返したのだから、いいのだろう。
だが、二人は、認知症になり、特に母はアルツハイマー症になったので、家事ができなくなっていた。
父だけ競艇に行き、母は一人で留守番をしていたようだ。
こういう両親の暮らしを知ると、私は、できるだけ最後まで収入を得るような仕事をしていく。
好きなことを仕事にしているのだから、体が続く限り、できる仕事をしようと思っている。
年金だけでは暮らせないから。
仕事ができなくなったら、子どもに迷惑をかけないように、命をたたむ準備をしようかと考える。
もちろん、再婚も考えるが、最後まで、何か運動のトレーニングをして、無理せず、楽しくスポーツをしながら、仕事をしようと心掛ける。
まずは、腰痛を治すことを一番に、暮らす。
すべてに感謝。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます