自分はなぜギャンブル、アルコール、何かの依存症になっていないんだろう、とふと思った。
お金、家族、友人、仕事などあらゆる大切なものを捨ててまでも夢中にすることがない。
でも100km、100マイルを歩く挑戦をした時に、1日2日眠らずに歩きとおしたら死ぬかもしれないのに、歩いたのは、その挑戦に執着していたっていうことだから、依存症なのだろうか。
でも大金を借金してギャンブルする、体を壊すくらいにアルコールを飲んでしまっているというのは、病気だ。
ドキュメンタリーでは、ギャンブル依存症の方の脳のなかをスキャンした映像を見せていた。
平常の方とは、異なると伝えていた。
自分の事実婚の元夫がアルコール依存症だったので、ストレスや自暴自棄の精神状態から、お酒に逃げていると思っていたが、最後まで本人はアルコール依存症ではないと主張して、強制入院から退院した翌日から自分でビールを買って飲んでいた。
3ヶ月アルコールを断っていたのに、止められなくなっていた。
本人が依存症だと自覚していないので、飲んでもいいんだとなる。
要は、アルコールを朝から飲んで仕事をしないからいけない。
仕事があったら、アルコールを飲まないのかもしれない。
15年ほどまったく音信不通だが、親元に帰って元気に仕事をしていたらいいのだが。
ドキュメンタリーのなかで、ギャンブル依存症に陥って、そのケアのために施設に入所して、お金の管理されたなかで、生活している様子をルポされていた。
本人は、借金をして自己破産した自分の回復のために、毎月20万円を働いて捻出している母親に申し訳ないと思うようになったと言っていた。
母親が住む家に帰宅して、母親に迷惑をかけたと謝罪していた。
しかし、その様子が親子としてぎこちないのだ。
父親はそんな息子を心配しながらも病気で亡くなっていた。
母親は息子がギャンブル依存症から回復してほしいと、息子が暮らす施設での生活費を出している。
でも家は豪華な調度品があって、テーブルをはさんで母と息子が話し合っているシーンがどこか寒々としていた。
「何やってんのよ!」ポカッとどつくくらいの肝っ玉母さんなら、「おふくろ、すまない」で本音を語り合えるような、温かさが感じられるようだったら、18歳で公務員で仕事をしながら、パチンコにのめりこまなかったのか。
いや、鶏が先か卵が先か、で、息子に裏切られたから、母としてやれること、毎月20万円の生活費を支援することくらいで、温かく迎え入れる心の余裕がないのかもしれない。
自分がこれから何かの依存症にならないとは限らないのと同様、自分の息子がならないとは限らない。いや、その息子に家族ができて、その家族がならないとはわからないのだ。病気だとすれば、だ。
ドキュメンタリーでは、母親と会った後、施設に帰る前に、地元の駅前のパチンコ屋の中に、その息子は試しに入って行った。
出てきた本人に取材者は突然の行動に驚いたと伝えると、「まだやってみたくなる気持ちが強い」と本音を話した。
その方は今、施設に暮らしながら週に4日、食肉加工のアルバイトをしているという。
施設の決まりで、お金を扱うレジなどの仕事はできないという。
少しでも自立するためのお金になればいい。
決してギャンブルするためのお金にならないことをそっと祈った。
すべてに感謝。
お金、家族、友人、仕事などあらゆる大切なものを捨ててまでも夢中にすることがない。
でも100km、100マイルを歩く挑戦をした時に、1日2日眠らずに歩きとおしたら死ぬかもしれないのに、歩いたのは、その挑戦に執着していたっていうことだから、依存症なのだろうか。
でも大金を借金してギャンブルする、体を壊すくらいにアルコールを飲んでしまっているというのは、病気だ。
ドキュメンタリーでは、ギャンブル依存症の方の脳のなかをスキャンした映像を見せていた。
平常の方とは、異なると伝えていた。
自分の事実婚の元夫がアルコール依存症だったので、ストレスや自暴自棄の精神状態から、お酒に逃げていると思っていたが、最後まで本人はアルコール依存症ではないと主張して、強制入院から退院した翌日から自分でビールを買って飲んでいた。
3ヶ月アルコールを断っていたのに、止められなくなっていた。
本人が依存症だと自覚していないので、飲んでもいいんだとなる。
要は、アルコールを朝から飲んで仕事をしないからいけない。
仕事があったら、アルコールを飲まないのかもしれない。
15年ほどまったく音信不通だが、親元に帰って元気に仕事をしていたらいいのだが。
ドキュメンタリーのなかで、ギャンブル依存症に陥って、そのケアのために施設に入所して、お金の管理されたなかで、生活している様子をルポされていた。
本人は、借金をして自己破産した自分の回復のために、毎月20万円を働いて捻出している母親に申し訳ないと思うようになったと言っていた。
母親が住む家に帰宅して、母親に迷惑をかけたと謝罪していた。
しかし、その様子が親子としてぎこちないのだ。
父親はそんな息子を心配しながらも病気で亡くなっていた。
母親は息子がギャンブル依存症から回復してほしいと、息子が暮らす施設での生活費を出している。
でも家は豪華な調度品があって、テーブルをはさんで母と息子が話し合っているシーンがどこか寒々としていた。
「何やってんのよ!」ポカッとどつくくらいの肝っ玉母さんなら、「おふくろ、すまない」で本音を語り合えるような、温かさが感じられるようだったら、18歳で公務員で仕事をしながら、パチンコにのめりこまなかったのか。
いや、鶏が先か卵が先か、で、息子に裏切られたから、母としてやれること、毎月20万円の生活費を支援することくらいで、温かく迎え入れる心の余裕がないのかもしれない。
自分がこれから何かの依存症にならないとは限らないのと同様、自分の息子がならないとは限らない。いや、その息子に家族ができて、その家族がならないとはわからないのだ。病気だとすれば、だ。
ドキュメンタリーでは、母親と会った後、施設に帰る前に、地元の駅前のパチンコ屋の中に、その息子は試しに入って行った。
出てきた本人に取材者は突然の行動に驚いたと伝えると、「まだやってみたくなる気持ちが強い」と本音を話した。
その方は今、施設に暮らしながら週に4日、食肉加工のアルバイトをしているという。
施設の決まりで、お金を扱うレジなどの仕事はできないという。
少しでも自立するためのお金になればいい。
決してギャンブルするためのお金にならないことをそっと祈った。
すべてに感謝。
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