いい言葉は人生を変える より抜粋
【第三の選択】
小林正観さんの心に響く言葉より…『人生が全部うまくいく「ありがとう」の不思議な力』三笠書房
わたしたちは、なにか「思い」を持つこと、その「思い」を、努力を重ねて実現することが唯一の価値、と教え込まれてきました。
しかし、その「思い」こそが、人間の悩み、苦しみ、苦悩、煩悩の源であったのかもしれません。
もし、悩んだり苦しんだりしているならば、そしてそれがつらいのであれば、その「思い」に「執着(しゅうちゃく)しない」ことをおすすめします。
さらには、「思い」自体を「持たない」ようにすると、楽に生きられます。
元々、わたしたちはたいしたものではないのですから、気合いを入れて生きるところから、もう少し気を抜いて生きる人生、でもよいのではないでしょうか。
もう、気合を入れて生きるのをやめませんか?
人にわかってもらいたいとか、評価されたいとか、眉間(みけん)にしわを寄せてがんばるのもいいですが、良い加減に、適当に、ニコニコと「頼まれごと」をやっていくほうが人生はおもしろくなります。
私は、「努力をしてはいけない」とか「がんばってはいけない」と言っているのではありません。
努力して必死になってがんばるのが好きな人は、そうすればいいでしょう。
しかし、自分の努力ではどうにもならないような問題を、ドンと突きつけられることもありますよね。
手ごわい問題が次から次へと湧き上がってくることもあります。
そのとき、人間は「謙虚」にならざるを得ない。
謙虚になるということは、「自分の力だけではできない」と思い定めること。
それが、「努力しない」「がんばらない」「必死にならない」ことの意味です。
最終的にわたしたちができることは、〈お任せをする〉ことだけ、ということになります。
お任せするとは、目に見えない四者(神、仏、精霊、守護霊)と、目に見える四者(友人、知人、家族、わたしの体)、この八者に対して、常に「ありがとう」を言いながら、感謝をして生きていくということです。
すると、「ありがとう」と言われた八者から共感・共鳴を呼ぶのでしょうか、周りの人は、なぜか手伝って応援してくれるし、神、仏も“やる気”になってくれるようです。
小林正観さんは「がんばる」について本書の中でこう語っている。
『わたしは人の5倍ぐらい働いています。
「おかしいじゃないですか、がんばっているじゃないですか」
がんばっていません。
ただ、やるはめになったので、仕方なくやっているだけです。
「努力してるんでしょ?」
していません。ぜんぜん。
いやがるものを無理やりやされているのでもありません。
年間280回の講演会というのを感心してくれて、「小林さんよく続きますね。よっぽど好きでないとできませんね」と言う人がいます。
好きでやっているのではありません。
「そうだったんですか!イヤイヤやっていたんですか?」
イヤイヤやっているわけではありません。
「じゃあ、やっぱり好きでやってるんじゃないですか」
好きでやっているのではありません。
イヤイヤやっているのでもありません。
「じゃあ、やっぱり好きでやってるんじゃないですか」
好きでやっているのではありません。
イヤイヤやっているのでもありません。
好きなのか、嫌いなのかはっきりしろと言われそうですが、人生には、「好き」でも「嫌い」でもないという選択があります。
「好きなこと」「嫌いなこと」で人生を選ぶのではなく、「第三の選択」があるのです。
好きでもなく、嫌いでもなく、自分の目の前に起こることについて、いちいち論評・評価をしない、いちいち感想を言わないという生き方があります。
わたしはその3つ目の生き方を選んでいるだけです。
好きだとか嫌いだとか、いちいち論評・評価しないで、“淡々と”生きているのです』
また、小林正観さんは、こうも語る。
『夢や希望を持って、それを語りなさい。それに向かって行きなさい、という表現もあふれています。
夢や希望というのは耳にはいい響きですが、よく考えてみると、結局は「足りないこと」を言っているにすぎないのです。
「あれが足りない。これが足りない。あれを寄こせ。これを寄こせ」と言うことを夢や希望であると吹聴しています。
これは突きつめていくと、エゴなのです。
私たちは九千九百九十の喜びを宇宙からいただいているのに、足りない十個を挙げて、それを「寄こせ、寄こせ」と言っているのです。
「その十個を手に入れたら幸せだ。手に入らなかったら不幸だ」と。
我々は、今ある幸せに感謝しないで、「足りない、足りない」、「もっと欲しい」と言っている。何か特別な面白いイベントがなければつまらない、不幸だ、と。』
感謝が足りないと、好き嫌いをことさら言い立てたり、不足を嘆くようになる。
感謝が足りないとは、謙虚さが足りないということ。
「第三の選択」は感謝の選択。
今あるものに感謝して仕事をし、暮らす。
いい友人に恵まれ、息子もいい。
仕事で関わる人たちも、親切にしてくれるし、笑う機会が多い。
ハードな仕事になったが、これを乗り越えればいいことが起きそうだから、無理せず工夫してやってみる。
自分のこのようながんばりを見守ってくれている人たちがいる。
何より、もう一人の自分が、いい加減で楽しんで自分を見ている。
それが面白くていい。
すべてに感謝。
【第三の選択】
小林正観さんの心に響く言葉より…『人生が全部うまくいく「ありがとう」の不思議な力』三笠書房
わたしたちは、なにか「思い」を持つこと、その「思い」を、努力を重ねて実現することが唯一の価値、と教え込まれてきました。
しかし、その「思い」こそが、人間の悩み、苦しみ、苦悩、煩悩の源であったのかもしれません。
もし、悩んだり苦しんだりしているならば、そしてそれがつらいのであれば、その「思い」に「執着(しゅうちゃく)しない」ことをおすすめします。
さらには、「思い」自体を「持たない」ようにすると、楽に生きられます。
元々、わたしたちはたいしたものではないのですから、気合いを入れて生きるところから、もう少し気を抜いて生きる人生、でもよいのではないでしょうか。
もう、気合を入れて生きるのをやめませんか?
人にわかってもらいたいとか、評価されたいとか、眉間(みけん)にしわを寄せてがんばるのもいいですが、良い加減に、適当に、ニコニコと「頼まれごと」をやっていくほうが人生はおもしろくなります。
私は、「努力をしてはいけない」とか「がんばってはいけない」と言っているのではありません。
努力して必死になってがんばるのが好きな人は、そうすればいいでしょう。
しかし、自分の努力ではどうにもならないような問題を、ドンと突きつけられることもありますよね。
手ごわい問題が次から次へと湧き上がってくることもあります。
そのとき、人間は「謙虚」にならざるを得ない。
謙虚になるということは、「自分の力だけではできない」と思い定めること。
それが、「努力しない」「がんばらない」「必死にならない」ことの意味です。
最終的にわたしたちができることは、〈お任せをする〉ことだけ、ということになります。
お任せするとは、目に見えない四者(神、仏、精霊、守護霊)と、目に見える四者(友人、知人、家族、わたしの体)、この八者に対して、常に「ありがとう」を言いながら、感謝をして生きていくということです。
すると、「ありがとう」と言われた八者から共感・共鳴を呼ぶのでしょうか、周りの人は、なぜか手伝って応援してくれるし、神、仏も“やる気”になってくれるようです。
小林正観さんは「がんばる」について本書の中でこう語っている。
『わたしは人の5倍ぐらい働いています。
「おかしいじゃないですか、がんばっているじゃないですか」
がんばっていません。
ただ、やるはめになったので、仕方なくやっているだけです。
「努力してるんでしょ?」
していません。ぜんぜん。
いやがるものを無理やりやされているのでもありません。
年間280回の講演会というのを感心してくれて、「小林さんよく続きますね。よっぽど好きでないとできませんね」と言う人がいます。
好きでやっているのではありません。
「そうだったんですか!イヤイヤやっていたんですか?」
イヤイヤやっているわけではありません。
「じゃあ、やっぱり好きでやってるんじゃないですか」
好きでやっているのではありません。
イヤイヤやっているのでもありません。
「じゃあ、やっぱり好きでやってるんじゃないですか」
好きでやっているのではありません。
イヤイヤやっているのでもありません。
好きなのか、嫌いなのかはっきりしろと言われそうですが、人生には、「好き」でも「嫌い」でもないという選択があります。
「好きなこと」「嫌いなこと」で人生を選ぶのではなく、「第三の選択」があるのです。
好きでもなく、嫌いでもなく、自分の目の前に起こることについて、いちいち論評・評価をしない、いちいち感想を言わないという生き方があります。
わたしはその3つ目の生き方を選んでいるだけです。
好きだとか嫌いだとか、いちいち論評・評価しないで、“淡々と”生きているのです』
また、小林正観さんは、こうも語る。
『夢や希望を持って、それを語りなさい。それに向かって行きなさい、という表現もあふれています。
夢や希望というのは耳にはいい響きですが、よく考えてみると、結局は「足りないこと」を言っているにすぎないのです。
「あれが足りない。これが足りない。あれを寄こせ。これを寄こせ」と言うことを夢や希望であると吹聴しています。
これは突きつめていくと、エゴなのです。
私たちは九千九百九十の喜びを宇宙からいただいているのに、足りない十個を挙げて、それを「寄こせ、寄こせ」と言っているのです。
「その十個を手に入れたら幸せだ。手に入らなかったら不幸だ」と。
我々は、今ある幸せに感謝しないで、「足りない、足りない」、「もっと欲しい」と言っている。何か特別な面白いイベントがなければつまらない、不幸だ、と。』
感謝が足りないと、好き嫌いをことさら言い立てたり、不足を嘆くようになる。
感謝が足りないとは、謙虚さが足りないということ。
「第三の選択」は感謝の選択。
今あるものに感謝して仕事をし、暮らす。
いい友人に恵まれ、息子もいい。
仕事で関わる人たちも、親切にしてくれるし、笑う機会が多い。
ハードな仕事になったが、これを乗り越えればいいことが起きそうだから、無理せず工夫してやってみる。
自分のこのようながんばりを見守ってくれている人たちがいる。
何より、もう一人の自分が、いい加減で楽しんで自分を見ている。
それが面白くていい。
すべてに感謝。
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