いい言葉は人生を変える より
【悪口は自分が疲れるだけ】
悪口、陰口が好きな人がいる。
会話を交わせば、必ず
「彼にはだらしないところがある。きっと女性問題で失脚するよ」
「あいつの営業力じゃ、成績なんか上がりっこない」
などと他人をおとしめるフレーズが登場する手合いだ。
当人は「それに比べて自分は・・・」と、すぐれた自分、素晴らしい自分をアピールしているつもりかもしれないが、そうは問屋がおろさない。
この種の人々に下される評価は
「誰の悪口を言うかわからない、信頼のおけないヤツ」
というものだからだ。
そう、悪口は他人をおとしめるのではなく、実は自分をおとしめるのである。
悪口の背景にあるのは多くの場合、劣等感だ。
モテない自分を感じているから、モテる人を「だらしない」と批判してバランスを保つ。
営業力のなさがわかっているから、誰かを自分より下だとけなすことで自己満足にひたるのである。
しかし、いくら声高に叫ぼうと、モテない自分、仕事ができない自分は変わらない。
周囲から人が離れていくだけである。
悪口を言ってみずから疲れる愚はやめよう。
無意識に、人を傷つけてしまっていることがある。
なにげないひと言が、相手のプライドにグサりと突き刺さったりするケースだ。
もっとも典型的なのが、子どもを叱咤激励するつもりの
「しっかり勉強しないと、お父さんみたいになっちゃうわよ」
という言い草だろう。
槍玉にあげられたお父さんは、たまらない。
奥方に悪意はないのかもしれない。
ちょっとしたもののたとえに、お父さんを拝借しただけということなのだろう。
しかし、お父さんのプライドは粉々に砕け散り、さらには父子関係にも確実にヒビが入る。
だが、これはほんの一例だ。
ビジネス場面でも友人関係でも、恋人同士の間でも、プライドを傷つけるなにげないひと言を
発していることは少なくないのである。
受け取る相手の立場になって、自分の言葉を検証してみる。
そんな姿勢がいい関係、よりよいコミュニケーションの礎になるのである。
【出典】 斎藤茂太 心をリセットしたいときに読む本
悪口と批判。
言葉のやり取りの事実から学ぶこと。
人の悪口、陰口はしたくない。
でもその対象の人はただ一人いる。
誰からも信頼されなくなって、暴君のまま仕事を続けている。
話し合うというより、命令を下してその通りにならないと、何を言いだすかわからない。
自分の言うことで、相手がどう困るかは考えつかないようだ。
仕事の部下が困り、不快と心身に病が出て、辞めていく。
ストレスからか、突然の高熱、職場でてんかん発作を起こす、で辞めていかれた人、二人。
持病がなく、その方の仕事をサポートする人間が、非常識な対応に対して抵抗し続けて、そうなる。
現場で仕事をする自分は、月に二度ほどその方と面談するだけだ。
ほんの10分だからなんとか今まで続けてきた。
だが、2ヶ月前に突然、仕事の契約終了を告げてきて、3週間後に住まいと仕事を失いそうになった。
自分の後にふさわしい受け継ぐ人が見つかったから、という理由だった。
そう告げられて1週間後に、突然電話で、まだ仕事を続けてください、と言ってきた。
転居先も次の仕事先も決めていなかったので、そのまま受け取って今に至るが、来年の3月まで、という約束をその時にした。
その後、少しずつ風邪の症状が強くなって、喘息の発作が出ている。
その時のストレスが喘息の原因とは思いたくはない。
ただ、いろんな疲れが出ているのだろうと受け取っている。
そして精神的な毒を、咳で出す痰で出すような気持ちで、浄化しているつもりだ。
今の仕事に就いたのは、住み込みで働くので、住居費をそのまま貯金に回して、行きたかったアフリカへ行き、会いたい人に会うことができた。
住み込みでの、早朝仕事と夜遅くまでの仕事は、その希望が叶うためなので、がんばった。
調理師資格を取得するための、受験資格に、この仕事を2年以上したという証明をもらって、合格した。
その合格証明書をもらった時から、喘息発作が出てくるようになったのは、不思議な偶然だ。
現場での顧客との人間関係はいい。
取引でくる業者ともいい。
ただ、今の仕事を長く続けることは考えていない。
現場がいいのだから、ただ一人の人間のために辞めることはないじゃないか、ということも考えた。
ただ未来が見えないのだ。
自分の性格は明るく開放的で、いろんな人と出逢い、交流し、役に立つこと、喜ばれることを考えて仕事をしていくことで、自分の価値が発揮される。
毒をまいている人が経営する会社に利益を与えるために、自分の価値を埋もれさせたくない。
どうせ辞めるのだから、切りがいい来年の春という話になっているのだから、その予定で計画し、準備をしていく。
1月2月の時点で、自分がどのようになっているか。
流れがあるから、それに乗ろう。
3月には、流れに乗り切った自分がいるというイメージがある。
すべてはいいほうに向かっている。
すべてに感謝。
【悪口は自分が疲れるだけ】
悪口、陰口が好きな人がいる。
会話を交わせば、必ず
「彼にはだらしないところがある。きっと女性問題で失脚するよ」
「あいつの営業力じゃ、成績なんか上がりっこない」
などと他人をおとしめるフレーズが登場する手合いだ。
当人は「それに比べて自分は・・・」と、すぐれた自分、素晴らしい自分をアピールしているつもりかもしれないが、そうは問屋がおろさない。
この種の人々に下される評価は
「誰の悪口を言うかわからない、信頼のおけないヤツ」
というものだからだ。
そう、悪口は他人をおとしめるのではなく、実は自分をおとしめるのである。
悪口の背景にあるのは多くの場合、劣等感だ。
モテない自分を感じているから、モテる人を「だらしない」と批判してバランスを保つ。
営業力のなさがわかっているから、誰かを自分より下だとけなすことで自己満足にひたるのである。
しかし、いくら声高に叫ぼうと、モテない自分、仕事ができない自分は変わらない。
周囲から人が離れていくだけである。
悪口を言ってみずから疲れる愚はやめよう。
無意識に、人を傷つけてしまっていることがある。
なにげないひと言が、相手のプライドにグサりと突き刺さったりするケースだ。
もっとも典型的なのが、子どもを叱咤激励するつもりの
「しっかり勉強しないと、お父さんみたいになっちゃうわよ」
という言い草だろう。
槍玉にあげられたお父さんは、たまらない。
奥方に悪意はないのかもしれない。
ちょっとしたもののたとえに、お父さんを拝借しただけということなのだろう。
しかし、お父さんのプライドは粉々に砕け散り、さらには父子関係にも確実にヒビが入る。
だが、これはほんの一例だ。
ビジネス場面でも友人関係でも、恋人同士の間でも、プライドを傷つけるなにげないひと言を
発していることは少なくないのである。
受け取る相手の立場になって、自分の言葉を検証してみる。
そんな姿勢がいい関係、よりよいコミュニケーションの礎になるのである。
【出典】 斎藤茂太 心をリセットしたいときに読む本
悪口と批判。
言葉のやり取りの事実から学ぶこと。
人の悪口、陰口はしたくない。
でもその対象の人はただ一人いる。
誰からも信頼されなくなって、暴君のまま仕事を続けている。
話し合うというより、命令を下してその通りにならないと、何を言いだすかわからない。
自分の言うことで、相手がどう困るかは考えつかないようだ。
仕事の部下が困り、不快と心身に病が出て、辞めていく。
ストレスからか、突然の高熱、職場でてんかん発作を起こす、で辞めていかれた人、二人。
持病がなく、その方の仕事をサポートする人間が、非常識な対応に対して抵抗し続けて、そうなる。
現場で仕事をする自分は、月に二度ほどその方と面談するだけだ。
ほんの10分だからなんとか今まで続けてきた。
だが、2ヶ月前に突然、仕事の契約終了を告げてきて、3週間後に住まいと仕事を失いそうになった。
自分の後にふさわしい受け継ぐ人が見つかったから、という理由だった。
そう告げられて1週間後に、突然電話で、まだ仕事を続けてください、と言ってきた。
転居先も次の仕事先も決めていなかったので、そのまま受け取って今に至るが、来年の3月まで、という約束をその時にした。
その後、少しずつ風邪の症状が強くなって、喘息の発作が出ている。
その時のストレスが喘息の原因とは思いたくはない。
ただ、いろんな疲れが出ているのだろうと受け取っている。
そして精神的な毒を、咳で出す痰で出すような気持ちで、浄化しているつもりだ。
今の仕事に就いたのは、住み込みで働くので、住居費をそのまま貯金に回して、行きたかったアフリカへ行き、会いたい人に会うことができた。
住み込みでの、早朝仕事と夜遅くまでの仕事は、その希望が叶うためなので、がんばった。
調理師資格を取得するための、受験資格に、この仕事を2年以上したという証明をもらって、合格した。
その合格証明書をもらった時から、喘息発作が出てくるようになったのは、不思議な偶然だ。
現場での顧客との人間関係はいい。
取引でくる業者ともいい。
ただ、今の仕事を長く続けることは考えていない。
現場がいいのだから、ただ一人の人間のために辞めることはないじゃないか、ということも考えた。
ただ未来が見えないのだ。
自分の性格は明るく開放的で、いろんな人と出逢い、交流し、役に立つこと、喜ばれることを考えて仕事をしていくことで、自分の価値が発揮される。
毒をまいている人が経営する会社に利益を与えるために、自分の価値を埋もれさせたくない。
どうせ辞めるのだから、切りがいい来年の春という話になっているのだから、その予定で計画し、準備をしていく。
1月2月の時点で、自分がどのようになっているか。
流れがあるから、それに乗ろう。
3月には、流れに乗り切った自分がいるというイメージがある。
すべてはいいほうに向かっている。
すべてに感謝。
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