北海道神宮御鎮斎150年。
明治天皇が明治2年に、当時蝦夷地だった頃に、本州から開拓でやってくる人々のために、安寧の神社を造った。
蝦夷地を北海道と命名したのも、最後に決断したのは明治天皇。
令和の元号も候補を考えたのは有識者。
だが、最終的に決めたのは、天皇だ。
それをメディアは伝えない。
と、北海道神宮の神官で尊敬するメンターがゆっくり話す。
このメンターが話されることは、よく学んでおられるから、吸い取るように聴く。
この出会いもありがたい。
ありがたい出会いから次の出会いのつながりをいただいて、今がある。
不思議だが、求める真理と出会う。
自分の使命を知る。
ハンガリー人の友人の半分英語通訳をしながら、日本文化、伝統の解説ができないことに、はがゆさを感じている。
神楽自体をよく知らないために、伝えられない。
日本舞踊もパーティの余興として披露されていた。
これも司会者の説明を通訳できず、これが自分の今、すぐに取り組むことだと気づく。
生き方の哲学に関しては、よく英語で話す。
日本文化伝統、歴史も学ぼう。
すべてに感謝。
明治天皇が明治2年に、当時蝦夷地だった頃に、本州から開拓でやってくる人々のために、安寧の神社を造った。
蝦夷地を北海道と命名したのも、最後に決断したのは明治天皇。
令和の元号も候補を考えたのは有識者。
だが、最終的に決めたのは、天皇だ。
それをメディアは伝えない。
と、北海道神宮の神官で尊敬するメンターがゆっくり話す。
このメンターが話されることは、よく学んでおられるから、吸い取るように聴く。
この出会いもありがたい。
ありがたい出会いから次の出会いのつながりをいただいて、今がある。
不思議だが、求める真理と出会う。
自分の使命を知る。
ハンガリー人の友人の半分英語通訳をしながら、日本文化、伝統の解説ができないことに、はがゆさを感じている。
神楽自体をよく知らないために、伝えられない。
日本舞踊もパーティの余興として披露されていた。
これも司会者の説明を通訳できず、これが自分の今、すぐに取り組むことだと気づく。
生き方の哲学に関しては、よく英語で話す。
日本文化伝統、歴史も学ぼう。
すべてに感謝。
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