難病にかかって余命宣告を受けた方でも、正確な余命はわからない。
ならば、一般の方はもっとわからない。
私は未熟児で生まれ、ようやく生かされ、3歳頃、オートバイにはねられ、溝に頭をはさまれて救急で運ばれても生かされた。
大人になってOLに就職したら、急にアレルギー体質になって、じんましんやら喘息もちとなった。その後、内臓のポリープをとるために、開腹手術もして、命が助かっている。
10年くらい、オートバイに乗っていたとき、事故らしい事故にもあわず、車に乗っている今もおかげさまで生きている。
息子を産むときも、病院でVIP待遇だった。アレルギーの治療で多くの薬を投入し、喘息ももっていて、また、蛋白尿の数値が異常に出ていて、要注意患者だった。案の定、数値が緊急事態となって命がけで息子を産んだ。
それでも生かされている。
これは自分がやるべき仕事を残しているからだと思う。
「人に喜んでいただく仕事を精一杯やりなさい、応援しているよ」ということだろう。
また、息子を社会に役立つ人間、かつ、幸せな人生を送るよう、道しるべとなりなさいということだろうと感じている。
生かされていることに感謝して、出来ることをやろうとしよう。
感謝
ならば、一般の方はもっとわからない。
私は未熟児で生まれ、ようやく生かされ、3歳頃、オートバイにはねられ、溝に頭をはさまれて救急で運ばれても生かされた。
大人になってOLに就職したら、急にアレルギー体質になって、じんましんやら喘息もちとなった。その後、内臓のポリープをとるために、開腹手術もして、命が助かっている。
10年くらい、オートバイに乗っていたとき、事故らしい事故にもあわず、車に乗っている今もおかげさまで生きている。
息子を産むときも、病院でVIP待遇だった。アレルギーの治療で多くの薬を投入し、喘息ももっていて、また、蛋白尿の数値が異常に出ていて、要注意患者だった。案の定、数値が緊急事態となって命がけで息子を産んだ。
それでも生かされている。
これは自分がやるべき仕事を残しているからだと思う。
「人に喜んでいただく仕事を精一杯やりなさい、応援しているよ」ということだろう。
また、息子を社会に役立つ人間、かつ、幸せな人生を送るよう、道しるべとなりなさいということだろうと感じている。
生かされていることに感謝して、出来ることをやろうとしよう。
感謝
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