ありがとうのブログ

毎日、家族や仕事関係の人たちとのふれあいで感謝していることをつづります。

母を想う

2010年05月09日 19時40分35秒 | Weblog
母は愛情過多の人だった。
一人娘の私を一生懸命の育ててくれていたのは、今、私が一人息子の母をさせてもらっているから、少しはわかっているつもりだ。

好きなだけ習い事をさせてくれて、両親は働きづめだった。

私の自営の両親の仕事を手伝うのは、当たり前のようにしていたが、私の息子は、自分は母親とは違うから、と押し付けがましく感じるようだ。

事実そうかもしれない。
息子に手伝ってもらうことを無言で強いているのかもしれない。
これは大いに反省するところだ。

朝の6時過ぎから、夜中の11時くらいまで、仕事をしていた両親だったから、家事は小学生の頃からやるのが当然だった。小学2年生の時、掃除機のかけ方を主婦並みに出来ていたので、担任の女教師の驚愕の表情を今でも忘れない。

いい子だったのだ。小学生の時は。

高校生になって、いろいろな本を読み、自立を考えるようになっていた。
家事はもちろん続けていたが、自分の心の中で、好きな勉強をするために、家を出ようという気が強くなってきた。
自宅で勉強が出来ないことはなかったが、自営の経営状況が良くなくなって、両親の喧嘩が絶えず、家庭は暗かった。

親に黙って東京で住み込みで働きながら予備校へ行く準備をして、その機関へ自分で考えて手紙を書いた。
そして、段取りを整えてから両親に宣言した。「家を出て住み込みで働きながら、大学を目指す」

これは今考えれば、両親にとって酷だった。
父や母にとって、娘だけは裏切らないという考えだっただろうと思う。
でも、これはある意味、良かったと思う。

自分の人生を自分で切り開くということを、やっていこうとして、いろいろ調べて実行したのだから。
高校3年の時の担任の先生も私の決断と実行を、心配していたが、誰も知り合いがいない東京で、悪い人たちに翻弄されることなく、失敗を重ねながら良い青春時代を送った。

高校を卒業した4月上旬。
東京へは夜行列車で、両親と共に上京した。
上野駅のホームに降り立ったとき、寒かった。東京は都会だから暑いのだろうと着ていたワンピースは、5月上旬に着るような7分袖と薄地のジャケットだった。

ホームにある、公衆電話で住み込み先に電話をすると、その責任者の方が急いでタクシーを飛ばして来てくださった。
まさか、夜行で来るとは、思っても見なかったのだろうと、そのときのあわてふためいた様子で今なら気づく。

話が飛んだ。
そして、住み込み先の人々や住むアパートを確認した翌日、両親は、また夜行で北陸の自宅へ帰っていった。そのとき、母も私も、駅で号泣していた。

住み込み先の責任者は、後で一人娘をよく東京へ上京させたね、と驚いていた。
私を採用する際、一人娘だと想像もしなかったようだ。

こういう自分だから、一人息子が中学や高校を卒業して、自立すると言ってもおかしくはないなと覚悟している。
あの時の私の強い決断を母は許してくれた。
だから、息子が自分で生活の道を作って自分がやりたいことをやるなら、受け入れるだろうと決意する。

息子はまだ中学1年生なのだから、早すぎる覚悟かもしれないが、息子を頼りにする自分を観てしまったので、自分を励ます意味で、このブログに所信を書いた。

明日からもガンバ!
感謝






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