あなたもわたしも

私がハッピーになったコツ?ノウハウ?をお伝えします。
ちょっとスピ的なので、苦手な人はごめんなさい。

不用品@しあわせ

2021-04-15 10:52:47 | 日記

不用品は処分する!

そんなことは当然なのですが、問題は、

「不用品かどうかわからない問題」です。

断捨離やときめきのようなもので片付けられない、というよりも、どれもときめく場合、

でも、全体を見たときに、不用品としか言いようのない時、

そういうのってありますよね。

特に、クリエイター気質の人は、いろいろなものがヒントになるということを本能的に知っているので、スッキリした場所ではなく、

雑多な「頭で考えたら不用品」の中にいることが多いのです。

それに、処分を繰り返すのって、本当は、環境負荷が高いわけですよ!

ほんとに捨てるのって正解なの!?SDGsは!?

という、はっきり言って不用品を処分するのが苦手な人向けの不用品処分についてです。

不用品がなぜ運に負荷をかけるのかと言いますと、

・居住空間が狭くなる

・物品が居住スペース(眠る場所)から得るべき運気を物品が吸収する

・埃が溜まりやすく、埃が運気を吸収する

・ものの管理が行き届かず、同じもの、似たものを意図せず購入し、物品が増える

などが、問題になるからです。

ということで、とりあえずこれに負けなければ良いわけです。

ということでどうするのか、というと、まず、物品の整理整頓をしましょう。

ということにつきます。

しっかりと手入れをし、整理整頓をして、二重購入やそれに近いことは避けます。

ものとしっかりと向かい合い、大切に使用することで、物品は自分の持つ運気を持ち主に還元しますから、物が多くても運を持っていかれるということはないのです。

だけど物が多いと持ち主の気がそのものに向かないため受け取りづらいんですよね。。。

また、ホコリだけは運気を吸収するだけの存在。

けっして良い物ではありませんので、絶対にためないこと。

こまめな掃除ができれば問題ありません。

物が少ない方が掃除はしやすく、物を大切にしやすいので、自ずと開運行動が取れますが、

物が多い人はそれに負けないくらいのメンタルで物と向かい合わなければなりません。

つまり、きちんと向かい合えるものとだけ一緒に過ごす、ということが開運につながるということになるんでしょうか。

 

 


嫌われる勇気を持つ@しあわせ

2021-04-14 10:23:37 | 日記

なんか書籍のタイトルのようで失礼します。

でも、大丈夫!

意外と嫌われないものです。

もしもどうしても抵抗があるようでしたら赤色の力を借りましょう。

ネイル、ルビーの指輪など、指につける赤色は自分を強めてくれます。

相手からの攻撃から守りたいときは左、自分に勇気を持たせたいときは右に赤を持ってくるのがおすすめです。もちろん両方でも構いません。

嫌われたくないのは、集団で生きる私たちの当たり前の感情です。

その集団とうまくやっていくために自分を殺しているのだったら、

その集団から離れることも大切になってきます。

もし、その集団が身の丈に合っていないのだったら、

嫌われるかも?と思うアクションを取ることで、集団自体が柔軟に変わるかもしれません。

嫌われることを恐れて踏み出せないのなら、ぜひ踏み出してみてください。


5月病@しあわせ

2021-04-13 10:55:03 | 日記

5月病は、がんばりすぎ、緊張しすぎの反動できます。

まず、3月から4月の緊張を少なくしておくことが予防となります。

あまり肩肘を張らずに、緊張しているなと思った時には、

水辺の散策(川べりがお勧めです)すると、

多少緊張してもやられないメンタルになりやすいようです。

いろいろなことが目白押しの4月ですが、

ぜひ心にゆとりを持つことを心がけてくださいね!


普段と少し違う道

2021-04-12 10:17:07 | 日記

今日は、普段とは少し違う道を通ってみましたら、

春らしい花が目を和ませてくれました。

ローソンのコーヒーを購入して、カップが素敵なので写真を撮ろうと思ったのですが。。。

放置されたものみたいで(笑)

もちろんちゃんと持ち帰りましたよ!!

楠は1年に3度落葉するのだと聞いたことがあります。

楠らしい清々しい香りに包まれて、コーヒーをいただきました。

 

普段と少し変化をつけることで、運にも変化がつきます。

変化は多角につながり、つまりいろいろな気づきも起こりますので、

いつもいつも違うことをする必要はありませんが、時々は意識して普段と違うことをしてみてください。

道一本変えるだけで全く違う結果が待つこともあります。

 


信仰と敬虔@しあわせ

2021-04-11 10:01:35 | 日記

今、あるのかはわかりませんが、ずっと以前、日曜日の朝には心の時代というNHKの番組があり、いろいろな宗教の人がでて話をされていました。だからというわけではないですが、今日は信仰の話。

信仰や敬虔さは神仏(など)に対する思いや行動、熱心さを示します。

神仏(など)を信仰するグループのことを宗教・宗派と呼び、そこではたいてい具体的に信仰の在り方や敬虔さの示し方を教えてくれます。
そのためとても効率的に神仏(など)に寄り添うことができることでしょう。

例えば、神道では古典的に穢れを忌避しますが、神様すごいな、神様に罰が当たらないようにしないといけないよな、と思っても、その方法がわかりません。そんな時にケガレはダメですよ、と教えてくれるのが宗教です。

神道はさすがに日本の宗教だけあって、日本人に効率的に寄り添う内容が多く、ケガレも、体内の気が枯れてしまったため起こる死を示すとの考えもあります。

穢れを忌避するのは単純な忌避感というよりも、腐敗しやすい日本の風土的な問題の現れではないかと私は思っています。

縄文時代は死者の顔に辰砂(水銀を含む赤い鉱石)の粉を塗って埋葬する習慣があったそうですが(全国区ではないでしょうけど)、これは穢れが出てこないことと、水銀の殺菌性をもしかして狙っていたのでは?と思ったりしています。

さて、ケガレを嫌う日本神話ですが、
ケガレとは、気枯れという意味ではなかろうか、という説があります。
死は、無意識に訴える恐怖があります。そしてその瞬間まで生きていた人の魂がどこかに行ってしまうような、境目のわからないことも多いものです。そこに恐怖を感じるのは当然でしょう。

ユダヤ教・キリスト教の十戒では刑法的ですが、日本の穢れは民法的だと思います。

このように(?)

信仰したい、と思ったとき、そのルールや方法を教えてくれるのが宗教です。

しかしながら、信仰に宗教が必ず必要かと言えばそうではない、と私は思っています。

そして、自分に信仰するものがないからと言って、他人が信仰しているものを非難したり、ないがしろにしてよいというわけではありません。
どんな宗教であっても、その人にとっては心のよりどころであり、自由になれる場所なのです。

相手の信仰を尊重する、という信仰の在り方もあると思います。

信仰の有無にかかわらず、神様をイメージさせる場では犯罪が減ると言います。

私たちは幸福に生きるために、信仰を意識して過ごすことも良いのではないでしょうか。

と言っている私は宗教を持ちません(先日、あなたは人の姿をした神様だと言われました。そういうふうに人の中に神を見る人のほうが、内に神を宿しているのでしょう。私は神様をそのように思えないのでよくわかりません)。