先日、物はあなただけのものではない、ということを書きました。
仏教的で申し訳ないですが、私たちは煩悩によって振り回されています。
特に煩悩が悪いわけではないのですが、煩悩の相互作用によって、本来の自分の姿が見えなくなってしまう、ということはよくあります。
何かにつまづいているとき、息詰まる感じがしているとき、そういったときには、
自分がシンプルに過ごしているのかを考え直してみてください。
先日、物はあなただけのものではない、ということを書きました。
仏教的で申し訳ないですが、私たちは煩悩によって振り回されています。
特に煩悩が悪いわけではないのですが、煩悩の相互作用によって、本来の自分の姿が見えなくなってしまう、ということはよくあります。
何かにつまづいているとき、息詰まる感じがしているとき、そういったときには、
自分がシンプルに過ごしているのかを考え直してみてください。
物事の多くは、基本と応用があります。
作法のように基本だけを研ぎ澄ませていくものもありますが、
基本があまり役に立たない、と感じる日常シーンも多いものです。
例えば、お料理では、教科書に載っているような基本的な知識がなくても、十分においしいものは作れますし、PCの基本を理解していなくてもWINDOWSを使いこなしている人はごまんといます。
そういった中でついつい置いてけぼりになっている基本ですが、
そのものの「本質」を、描いた設計図です。
本質は基本的に言葉にならなくて、人に伝えることは困難です。
ですが、基本の中に本質があります。
本質を知るには、基本に忠実であることが一番なのです。
そして基本に忠実である人は気高く見えるものです。
基本に基づかない応用は、華やかに見えても長く続きません。
基本には、それが基本となる意味があります。
本質のそばにあるからです。
私たちは本質を知ることはなかなか難しいのです。
ぜひ基本を大切にしてください。
手作りをしましょう。
できる範囲をできることだけで十分です。
手作りをすることで、気づくことも多いのです。
少女のころに何かを作っていた人もいるのではないでしょうか?
あの頃の感覚で、自由に、好きな物を作ってみてください。
手作りには手作りのメリット以外に「気づき」と「内省」が詰まっています。
新しい目線で物事を見ることができるようになります。
脈絡なく、あ、あれ食べたい!
とふと思うときありませんか?
そういう時には、それを食べるのが、心身を支えるためにぴったりだというサインです。
環境が許すならぜひ召し上がってくださいね!
私たちにはお金は必要なものです。
もちろん一生贅沢をしても使いきれないほどのお金がいると言っているわけではありません。
いくらいらないと言っても、やっぱりお金がないと困ります。
それではどうやって得ていくのか。
お金を得るためには、さまざまな方法がありますが、
多くは職業によるものです。
職業に貴賎はないと言いますが、実際のところにはやっぱりあります。
どんな仕事であれ、その「社会が示す貴賎」に振り回されることなく、
堂々と胸を張っていられる職業でお金を得ることが大切です。
もちろん、違法ではなくニーズがあるのに社会的にさげすまれる職業についているときに、堂々と人に伝えることは難しいでしょうが、そういう時は心の中だけで誇りを持っていればいいのです。
要は「自分自身が誇れる職業で得たお金」であることが大切です。
賛否はあるでしょうが、労働の対価で受けるお金にはすがすがしさがあります。
そのすがすがしいお金が私たちの衣食住を守り豊かにしてくれるのです。
よく「替えが効く仕事」や、「あなた以外の誰もできない仕事などない」などと言われますが、これは「自分しかいないのだから、無理をしてでも頑張るしかない」と思い詰めている人に対する言葉です。
よく労働者を歯車に例えますが、いくら取り換えの利く歯車であっても、その時計にはその歯車がなければ、今、動きません。
どんなささやかな仕事の中にも、必要性があって存在しているわけですから、自分の職業を卑下することはとても残念なことです。
職業対して誇りを持って働くこと。
私たちはたいていの場合、多くの時間を職業に割いています。
その時間を誇れるものにすることで、私たちの人生は確実に気高いものへと変わっていきます。