ロシアがウクライナに侵攻したのが2022年2月24日。
それは衝撃的だった。
なんとも表現し得ない危機意識が脳内に拡がったのを記憶している。
それから、丸1年が経過しようとしている。
私は、大東亜戦争に関して、小学生の頃からかなり多くの書物を読み、映像を見て学んできた自負がある。
過去にはそれを「右翼!」と決めつけられたこともあるが、実は全くその逆で、筋金入りの平和主義者である。
戦争という人類最大の愚行を繰り返さぬために、過去の戦争がどうして起き、どのような経緯を辿って最終的にどんな結果をもたらしたのか?
そこから目を背けることは、再び戦争を繰り返してしまうことにつながると感じるからだ。
ちなみに、2001年の911が衝撃だったのは、アメリカが攻撃されたことそのものに対してではない。
あの映像が飛び込んできた瞬間、アメリカは湾岸戦争以来再び世界に戦乱の渦を巻き起こし、殺戮と憎しみの連鎖を繰り返すだろうと直感したからだ。
そして、2025年頃までには日本もその戦争行為に巻き込まれるだろうという予感が、非常に強く襲ってきた。
今回のロシアによるウクライナ侵攻は、いかなる理由があれ正当化してはならないものだと思う。
が、このニュースのように、欧米に武力提供を要請して徹底抗戦するというゼレンスキー大統領の一貫したスタンスも、受け入れ難い。
兵器が充実すれば戦闘は激化し、ウクライナの国民はさらに犠牲になるだろうし、その兵器で確実にロシア人が殺される。
今回のウクライナ侵攻の最終着地点は、「国民に多大な犠牲を強いてでもロシア軍を徹底壊滅する」ことなのだろうか?
私は、「ロシア軍がウクライナ領土から撤退する」ことを着地点とすべきだと感じている。
同じことじゃないか、って?
いや、根本的に違う。
ゼレンスキー大統領は終始一貫して徹底抗戦を叫んでいて、ロシアの言い分には一切耳を貸さない。
本当のところはわからないが、プーチン大統領は「ウクライナがNATOに加盟しようとしている」ことに危惧を感じて侵攻したのだと明言している。
であれば、「NATOには加盟せず、欧米の兵器は今後配備しない」という譲歩を行えば、ロシアの大義名分は成立しなくなる。
その苦渋の譲歩を行う姿勢がゼレンスキー大統領に見えて、それをプーチン大統領が顧慮せず蹂躙するのであれば、
ロシアの正義はもはや何も存在しない。
欧米のみならず世界各国はウクライナ軍事支援に積極的になっていくかもしれない。
だが、親米的な己の態度を一切変えず徹底抗戦を叫んでいるだけでは、世界の共感は徐々に失われていく。
今のゼレンスキー大統領がやっていることは、単純化して明言してしまえば、自国ウクライナ国民のさらなる犠牲を強いて、己の体制と主張を固持しようとしているだけだ。
いつだって、罪のない一般国民が犠牲となり、為政者はその命脈をつなぐ。
「生きて虜囚の恥かしめを受けず」の戦陣訓を徹底した東條英機も、戦後まで生きて米軍によって処刑されるという恥を晒した。
(ただし、天皇陛下への責任追及を回避するために一身に罪を背負って敢えて恥を忍んだという側面はある)
ゼレンスキー大統領は、過去の為政者と同じ愚行を繰り返しているだけで、自身のスタンスがウクライナ国民をより犠牲にし、あまつさえ世界を再び大戦に巻き込もうとしていることに気づいて欲しい。
大切なのは、ウクライナ国民の生命だ。生活だ。
同様に、ロシア国民の生命と生活も大切だ。
もちろん、日本を含む世界各国国民にとって一番大切なのは、人間の生命と生活だ。
主義主張を押し通すことではない。
私の言っていることは、綺麗事かもしれない。
世界平和なんて絵空事かもしれない。
だが、一人一人が「生命と生活」を最重要事項としてしっかりと判断をくだしていけば、戦争など起きないはずなのだ。
第2次世界大戦では、日本もアメリカもドイツもイギリスも、政府はプロパガンダを広めて国民を巻き込んでいった。
結果、命を失ったのはその国民だ。
「自由」という伝家の宝刀のようなお題目に目眩しされず、何が一番大切で、それを守るにはどうする方がベターなのか、絶えず考え続けていたい。