福知山線脱線事故

2009-04-29 00:26:35 | Weblog
あの慟哭の日が過ぎて丸4年だ

毎年同じ光景を報道している

合掌しているJRの関係者の中で心から遺族や後遺症に苦しんでいる者へ詫びているだろうか?信じ難い

責任者等は「護身」を内に抱きながら? そんな思いがしてならない


関連するような事件や事故に対して遺族の言葉にとてつもない違和感を感じる

遺族は「風化させてはいけない」という、決まり文句のように!

誰に訴えているのか?

百歩譲って、敢えて思う

所詮他人事! 何を望むのだ?何かを期待するからではないだろうか? 社会へ!!

立場を置き換えてみれば解るだろう!

自分の周囲に今自分と同じ思いの者がいたらどんな同情を持てるか?

結局は同じ体験をした者にしか解らないことだ

配偶者を亡くしても、もしかしたら代わりが出来るかも知れない

子が幼かったら(親が若い)代わりにはならないが再び子に恵まれる可能性はある

子が他にいたら苦悩の連続の中にも笑うことはある

一人子がいなくなってしまったら?

もう生きる意味がない

心を病み身体の変調に苦しみながら生きて行く

人ではなくなるのだ 

乱れまくる思いしかないから意味不明の文章になっているが、それが全てを表現している

社会が騒いでいると、ことさら目を耳を背けている

短い人生だった者は単純な言葉だが、やはり神様が必要として呼んだ素晴らしい存在だったのだ

この世での生き方に満点をくれたに違いない

しかし神様は残された者の哀しみを知らないのだろう

極楽しか知らないのだろう・・・