「今、進められている集団的自衛権の行使容認は、日本国憲法を踏みにじった暴挙です」
8月9日、長崎での平和祈念式典での光景です。
被爆者代表者の方がアドリブで発言されました。
心の底から、怒りをこめた言葉です。
粛々と進行する式典の空気を震撼させました。
批判的な人や賛同する人、様々に衝撃を与えた言葉です。
これこそ、暴力では無く、言葉の力の存在価値を証明しています。
首相のコピペ発言とは、雲泥の違いがあると、私は賞賛します。
市長の平和宣言でも、集団的自衛権の危惧が盛り込まれました。
これに対して、自民党国会議員が発言します。
「政治的選択について語りたいなら市長を辞職して国政にでろ」
まったく非常識な発言です。
集団的自衛権の決定は、国政に携わる国会議員のみの権限だと威張っています。
しかし、国会議員は、我々の参政権の行使に基づき選挙された集団です。
それを、自分たちだけが、国を仕切る権利があるという感覚はもはや錯乱状態です。
その様な集団に私たち国民を守る約束はおおいに期待できません。
平和に対する懸念を発言するのは、市民を代表としての発言です。
そして、当然の責務だと思います。
市長は真摯で代表者としての自覚に優れています。
それに批判する国会議員は自覚がなく下品にしか見えません。
国政の性格を私たち国民はしっかりと監視しなければいけないと思います。
国の安全を考えるのは、私たち国民一人一人の意見が反映されることです。
まして、被爆体験者の意見は大切で尊重するのが、真摯な国政運営ではないでしょうか。
理不尽な政治家を選出する要因に今の選挙方法にも欠陥があります。
選挙方法についても、国民的議論が必要ではないでしょうか。
長崎市長さんや被爆者代表の方の勇気ある常識的な発言に私は敬意を抱きます。
人類から戦争と核兵器を無くす意思が消滅したら、地球を破壊されるのは時間の問題です。
しかも、この地球に生存するのは我々人類だけではありません。
他の生き物から見れば、我々人類は迷惑な存在ではないでしょうか。
科学者の方々も、自らの発明を悪行に使用されないように主張してください。
科学は人類の幸せの構築のために進歩するべきです。
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