元零戦操縦士さんのお話です。
操縦士さんは、1942年に零戦に乗りインド洋に飛び立ちました。
その時、初めて英軍の戦闘機と遭遇して空中戦に臨みました。
当時、零戦は「無敵」と恐れられていました。
敵機は、一対一の戦いを避けて逃げました。
弾を撃つと敵機は旋廻して逃げ回りました。
その間に距離を詰ます。
そして背後から機関砲を撃ちます。
操縦士さんが考えた戦法です。
炎上し、落ちてゆく機体を時速500キロ近くで追い抜きました。
その瞬間、操縦席のパイロットを見たそうです。
悲痛な表情で「助けてくれ」と訴えているよに見えたそうです。
自分が手にかけた人間の最期を初めて見たそうです。
「俺じゃなくてよかった」と安堵したそうです。
零戦で戦う以上、負けれないと言います。
撃たなければ、自分が殺される。
これが「戦争」だと言います。
操縦士さんはすぐに他の敵を探しました。
その後、敵機を撃ち落すたびに思いました。
「あの人にも家族がいたかもしれない」
悲しい気持ちになったそうです。
操縦士さんは、戦争中19機の敵機を打ち落としました。
名誉の勲章もたくさん頂いたそうです。
戦後、操縦士さんは、幼稚園を開業しました。
しかし、人を殺めた自分が子供の命を預かっていいのか!
深く悩んだと言います。
91年の湾岸戦争を語ります。
多国籍軍の攻撃を「花火のようだ」と話す若者に恐怖を覚えました。
それを期に、学校などで自らの戦争体験を語るようになりました。
「生きるか、死ぬか」を戦い抜いた、満足感もありました。
国に尽くせた誇りもありました。
零戦から逃げていく、相手の命も奪いました。
その顔が忘れられません!
相反する複雑な思いを、どう言えば分かってもらえるのか!
今でも、苦しんでいます。
外国のお付き合いで「集団的自衛権」を使ったら大変です。
「特定秘保護密法」で、思ったことが言えない昔のような時代になりますよ。
みんなが、不幸になりますよ。
私は、今は一番危険だと思う!
戦場の空気を理解できないのは、若者だけではないと感じます。
長生きをしたいと思う年齢でもありません。
ただ、次に世代が戦争に苦しむのは耐えられません。
戦争が持つ「罪悪」をどうにか伝えたいと思っています。
以上が操縦士さんの体験談です。
操縦士さんは、戦争中、我が国と家族を守るために戦ってくれました。
しかし、戦争を明らかに否定されています。
「殺し、殺される」それが戦争だと教えてくれます。
私たちに、そんな覚悟はあるんでしょうか。
戦争体験者が生存している現在は、私たちは話を聞けます。
しかし、戦争体験者がいない時代が来ます。
その時、誰が戦争の性格を語ってくれるんでしょうか。
私たちは、判断できる時代に生きています。
とても責任が重大です。
同じ戦争体験者の女性が語ります。
「気づいた時には遅いんですよ。戦争は国民投票で決めるわけではありませんから。今の雰囲気は当時の雰囲気に似てますよ」
国会議員も9割が戦後生まれと聞きます。
「戦争を知る人」「戦争を知らない人」
どちらが正しく判断できるのでしょうか。
私は、「戦争を知る人」を信じます。
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