私たちはおかれた「環境」がどうであれ、自分の人生をどういうふに送りたいか、
その思いをしっかり胸に抱いて、それに向かって努力していると思います。
また、それが大切だと思います。
私は障害者ですが、障害者ならではの生き方があると信じて勉強しています。
それらの行動は「平和環境」のもとで構築されるのではないでしょうか。
もし「平和」が担保されない「環境」になれば、自由に制限が課せられます。
日本が「テロ警戒国」になれば立ち入る場所や社会活動に規制が発生します。
多くの人が集まる場所はテロ攻撃の的になりやすいと判断されます。
政府は被害を最小限に抑える対策を講じなければいけません。
「行使容認」はそんな危険を大きく助長するものです。
「百害あって一利なし」弊害ばかりで利益はありません。
会社や学校も危険な場所と特定されるでしょう。
私たちの人生は「危険状態」を認識して生きてゆくことになります。
誰もが「努力の価値観」を喪失してしまいます。
いつ殺されるか分らないリスクが高まった社会で向上心など持てる訳がありません。
自らの「命」を守ることで生活は息苦しいものになるでしょう。
誰が「テロリスト」なのか外国人をすべて疑う事態になってしまいます。
それどころか日本人も疑うことになるでしょう。
もはや我々が生活してきたあたりまえの「環境」が容赦なく破壊されてしまいます。
そんな「危険環境」の中に国の発展も信頼関係も期待できないでしょう。
世界各国は「日本人」に厚い「平和維持」「技術」「誠実」を確認しています。
海外から日本に買い物に来た人々は「日本の製品は世界一安心できる」と
笑顔で買い物を楽しんでいました。
「平和国家日本」ならではの世界の「老舗」に位置付けられています。
そんな日本の「信頼」は理不尽な「閣議決定」で破壊されようとしています。
もうすでに近隣諸国の「不信感」が産声をあげています。
太平洋戦争の記憶が残るアジア諸国は「警戒心」を強めるでしょう。
その「不信感」は世界中に波及するのは時間の問題です。
「信頼」は一瞬にして喪失して回復するには膨大な時間を必要とします。
「規制緩和」、「命」、「暮らし」、「自由貿易」、「平和維持」
耳あたりのいい言葉がならべたてられています。
信じていいのでしょうか。
私は疑います。
なぜなら「戦う」の言葉が潜伏しているのに「強調」されていません。
これは私たち一人ひとりの問題ではないと思います。
子供から大人まで「真剣」に考えるときではないでしょうか。
他の星でも戦争しているのでしょうか・・・・・
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます