日記 大宜津比売の頭からの〜稗田のあるある。
スサノオに斬り殺されてしまった大宜津比売の頭から、唯一蚕だけが植物でないのは何故なんだとたまに考えておりましたけれど、とある本を偶然に読み始め、なんとなく個人的にわかったことがありました。
つまりお蚕様は、他の稲や豆などの植物とは姿形、成長過程は違えども、無抵抗で全身を人間に捧げる尊い生き方は、植物たちと何ら変わりがないのでありました。
だから大宜津比売の件にも、お蚕様も五穀豊穣の植物たち同様に大事にしてね、と記された、というか、稗田阿礼さんに降りたんではなかろうか。
因みにお蚕様は、1頭2頭と馬牛のように数えます。だ、だから頭から出たの⁈
てか反対で、頭から出てきたから1頭?
そして問題は…
∑(゚Д゚) はっ⁈問題なんかあんの⁉︎
ございます。_φ( ̄ー ̄ )
なんとなく発見してしまいました。
(ㆀ˘・з・˘)毎度毎度もったいぶんなや!
_φ( ̄ー ̄ )書けばすぐに終わってしまうんで。
笑
お蚕様の成長を、1令2令と数えるんですが…
全部で5令まであるんです。
5回眠って脱皮を繰り返してから、繭作りのために糸を吐き出すそうなんですね。
つまり…この令和の時代にも、5回位大きなアクションがあるのかな〜って。
あるあるだわ。
稗田のあるある。
笑
このタイトル、稗田のあるあるにしよ!笑
追記
さらに考え進めてみました。
つまり、大宜津比売自身がそれらの植物、蚕様のような働きの神なのかなと考えてみました。
一方的に献身的なまでに、人間に捧げるばかりの一生である、植物、お蚕様。
汚物にもなる肥やしは、植物の肥料でもあります。
だから大宜津比売死した後にも、そのお体から、植物などの誕生があるんですね。終わりではない。次へのバトンタッチ。
そう考えると、スサノオというのは実に人間味がございますね。自我の塊りのような(笑)