バドママの育児奮闘記&夢追い日記

マダガスカルでの妊娠&子育てを経て、とんでもない夢を抱いてしまった私。アラフォー&一児の母、勉強嫌いの私が看護師に?!

緊急帰国

2008-10-31 00:36:53 | Weblog
26日に、祖父が亡くなったという知らせを受けて急遽帰国しました。
私の父方の祖父です。

86才&59日の人生でした。

祖母が亡くなったのが18年前だったので、それ以降は寂しいことも多かったと思います…

知らせを受けたのが日曜日だったので、その日はの空席確認ができず、
翌日まで気持ちがそわそわしたまま時間を過ごし、翌朝一番で代理店を訪ねました。

マダガスカルから福岡への最短ルートはバンコク経由です。

最初は、席はありませんと言われて、それでもいろんなルートを照会してもらったり、なかなか諦めがつきませんでした。
そしたら、代理店のお兄さんが、「あちょっと待って
と、をカチカチ打ち始め、「今、1席あきました!」って!
「ホントですか!」って思わず日本語でいいました。
来店してから(E-TICKET)発券してもらうまで30分くらいだったと思います。

バンコクで20時間も乗り継ぎ時間があったので、結局マダガスカルを出発してからほぼ丸2日かかりましたが、祖父の葬儀には奇跡的に間に合いました。

最初、父から「葬儀は28日、その日に初七日もするから」と聞かされていたので、
「もうおじいちゃんの顔は見られないけど、せめて納骨される前に手を合わせたい」と、会うことは諦めた気持ちで帰国しました。

でも、日本に着いて、父から「昨日は友引やったけん、葬式は今日することになったもんね」って言われて
「やった。間に合った!やっぱり諦めないで帰ってきてよかった」と思いました。

お酒が好きな人で、父や伯父さんは、
「じいさんは最後まで『酒買うてきてくれ~』ち言いよったばい…」と言っていました。

お医者さんにお酒を止められていたので伯父が「酒飲んだら死んでしまうばい!」
と、止めようとすると
「もう、ばぁさんのところに早う行きたか。よかけん買うて来てくれ」と言っていたそうです。

祖父の表情はとても安らかでちょっと微笑んでいるようにも見えました。

「会えない」と諦めていたのに、「間に合った!会える」と喜ぶ一方、
もう声をかけても返事が返ってくることの無い祖父の顔を見る心構えが十分に出来ていないまま祖父に再会したときは、涙が止まりませんでした。

ここ数年は、祖父に会いに行くといつも涙を流して喜んでくれました。

マダガスカルに行くというと、「アイアイていうサルがおるところやろ」と言っていました。

大酒飲み(笑)でしたが、とても寂しがりやで、優しい祖父でした。



今頃は天国のおばあちゃんと再会してるころかなぁ…



今回の帰国に際し、ご協力、お気遣いいただいた皆様、本当にありがとうございました