※5/22追加
※5/30追加
2008年5月に書いたものです。
「21世紀のパラダイムについて」
日本は現在(2008年)、格差社会と言われながらも、
全体ではこれから団塊が高齢の世代になっていく。
現代は物質があふれ、飽食が普通の時代であり、
対価的な「モノ」に対し価値観を見出している。
しかし、今後日本は超高齢社会の中で介護をとおし、
心の時代が到来するのである。
団塊の世代の人達が自らが老々介護をしていくとき、
福祉サービスという介護者からみた断続的な「モノ」
の質に対し、一時的に権利意識が強く、表現され、
欲するように時代は動くように見えながらも、やがて
その人たちが老いにより、喪失感が増大していく。
対価的なものでは心が満たされず、本当に
欲するものはお金で買えるものではないと気付き、
介護が人と人とをつなぎ、多くの人は他者の
やさしさに触れ、愛に気がつく。
その時、今までと違う価値観に気がつかなくては
ならない。喪失感の中、失われないものは
「心」であり、心には豊かさとして発達する力が
あること、その力が心身の発達につながっている
ことを知ること、また若く介護に従事している人も
サービス提供という業務の中で心の豊かさ、
心の発達に気付くような社会啓蒙が必要である。
21世紀に日本は超高齢社会と共に介護を通し、
「モノ」のみの価値観から離れ、心の大切さに
価値観を見出し、何かができるという心身の
発達以外に、心の豊かさの価値観が形成され、
心の豊かさを求め、心の発達を目指す、
心の時代にパラダイム・シフトする。
国民全体が自分の周囲の人の老いの経過を
目の当たりに見ていく中、コミュニティが
発達し、やがて学校教育にもその価値観が
取り入れられ、国民全体が心の発達を
目指して、心の充足感が得られる国家を
形成していくのである。
かくて、21世紀、日本は福祉先進国となる。
(※注1)
そのための大前提がある。
それは第三の力である市民参画による福祉システムが
「市民の失敗」に向かわないためのものと一致すると
考えられる。それはコミュニティケアが成長、発達する
過程で満足感、喜びが伴うシステムづくりの必要が
あるということである。
これは「心の豊かさの価値」が
形成されること自体で満足感が伴うことになるシステムも
必要である。障がいがあっても無くても、人は自然に
成長したい、発達していきたいと望んでおり、それ自体に
喜びが伴う。ひとりひとりの成長、発達は国全体の成長に
寄与しているものであり、歴史を形成していると考える。
したがって政治が国民の多くに「成長」を望まず、
「統制」を望めば従属的になり、「平等」「安定」の
中で「維持」を望めばやがて国は衰退していくのでは
ないかと考える。それぞれの中にいては「成長、発達」
について、個人の達成感が少なく、満足感や喜びが
自覚できないからである。介護保険の制度の中に
自立支援の考え方があり、自助努力が求められている。
自立支援における「発達、成長」についても、今日を
生きる高齢者にとっては「喜び」が実感できる姿を
とる必要があるのではないか。
続く。
※5/30追加
続くとしましたが、ここまでにします。
この論文の基は、日本が超高齢社会で財政が困難になり、
その結果、遅く来たエーデル改革のように
コミュニティが発達していかざるを得ない。
そのシステムづくりがテーマです。
コミュニティは他国の宗教的な価値観や、
良き慣習では無く、日本の過去のコミュニティでも無い
新しい価値観からコミュニティを築く必要があると
いうものです。
※注0 この「21世紀のパラダイムシフト」は、
『 1930年の世界恐慌時の「市場の失敗」
に対する20世紀前半の国の役割は「統制」
「計画」の名称で国家主導の台頭を認める
ものであった。
第2次大戦後、福祉国家を確立し行政府が
責任を追うようになったが、20世紀末には
「国家統制主義」の失敗が指摘され、
「小さい政府」「民営化」が求められ、
規制緩和が強調されてきた。
この流れを踏まえて、21世紀の社会福祉の
パラダイムについて論ぜよ。』
これに対し、論じたものです。
※注1 福祉の定義のパラダイムも
存在する。
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