※10/18のdiaryを転載、追加しています。
もともと私が興味を持っていたのは
欧州の財政と政策でした。
以前、私のブログにインフレターゲットについて
書きましたが、あの時自由主義での
インフレターゲットについて何度か思慧を繰り返しました。
その時の思慧の内容を書いてみたいと思います。
その時の思慧の最初はいずれ各国の量的緩和が全世界の
恐慌につながるイメージでした。
ただ、以前の世界恐慌の形や状態ではない。
なぜか、
資本家の人たちはなぜか知っているはずです。
それからいずれです。今ではない。
次に現在の自由主義でなおかつグローバルな経済の中で
インフレターゲットはどう設定したら良いかを考えました。
目標は立てられるが達成する時期が
見えないというところでした。
ではあの時インフレターゲットの政策が良しとされたのか、
△からの出発でなおかつ最初の崖が目の前で
この国でこの時において「他に選択肢がなかった」というのが
答えでした。
それからこの政策をずっと続けてはならない、
成果がある程度見えてきたら
次の政策に切り替えなくてはならないというものでした。
それから他国間との物価指数と為替レートについての問題も
大きくあると思います。
量的緩和の規模、時期を決めないほうが良いと思われる場合は
金融政策と違う成果の達成を時期とするということが
できると思います。それが雇用なのですが、雇用は待つだけでは
増えないので雇用に関する政策、労働に関するも政策が必要です。
それから崖を崖であると思っているのは国家であり、国家財政です。
企業や投資家はそういう視点をもたない、これをどうするか、
いくつかのロジックがあると思います。
例えば「自由と平等」の平等理論がひとつ、
個人としての負担としての平等です。
資本家と雇用者と労働者がいなくては企業も社会も成り立ちません。
自由を求めながら、他の誰かを否定するということは
本当の自由でしょうか。これについてこの国はどう結論付けるか。
まだ他に違うロジックが存在すると考えています。
それから社会保障については「自由と人権」、
現代誰かの自由を奪って自らの自由を達成したいと
考ていることはないと思います。
だからこそ私は今これを書いています。
現代の社会で自由を求めるなら他の人の人権について
考えなくてはなりません。
また人権を求めるなら社会への貢献を考えなくては
なりません。
今までの日本でも先進国でも本来の「人として生きる」と
いう大切な意味が見えなくなってきているように思います。
以前「invisible hand of God 神の見えざる手 」
これは自由主義経済が発展していくと結果として
全体の利益が達成されるというものですが歴史の中で
夜警国家がみられたように
(いずれこの部分の信仰と経済について書きたいと思います)
グローバル社会ではひとつの国家の中において
そうではないという結果が見えています。
国家として金融と財政と雇用政策を融合して政策を
立てていくということが急務であると思います。
人気ブログランキングへ
もともと私が興味を持っていたのは
欧州の財政と政策でした。
以前、私のブログにインフレターゲットについて
書きましたが、あの時自由主義での
インフレターゲットについて何度か思慧を繰り返しました。
その時の思慧の内容を書いてみたいと思います。
その時の思慧の最初はいずれ各国の量的緩和が全世界の
恐慌につながるイメージでした。
ただ、以前の世界恐慌の形や状態ではない。
なぜか、
資本家の人たちはなぜか知っているはずです。
それからいずれです。今ではない。
次に現在の自由主義でなおかつグローバルな経済の中で
インフレターゲットはどう設定したら良いかを考えました。
目標は立てられるが達成する時期が
見えないというところでした。
ではあの時インフレターゲットの政策が良しとされたのか、
△からの出発でなおかつ最初の崖が目の前で
この国でこの時において「他に選択肢がなかった」というのが
答えでした。
それからこの政策をずっと続けてはならない、
成果がある程度見えてきたら
次の政策に切り替えなくてはならないというものでした。
それから他国間との物価指数と為替レートについての問題も
大きくあると思います。
量的緩和の規模、時期を決めないほうが良いと思われる場合は
金融政策と違う成果の達成を時期とするということが
できると思います。それが雇用なのですが、雇用は待つだけでは
増えないので雇用に関する政策、労働に関するも政策が必要です。
それから崖を崖であると思っているのは国家であり、国家財政です。
企業や投資家はそういう視点をもたない、これをどうするか、
いくつかのロジックがあると思います。
例えば「自由と平等」の平等理論がひとつ、
個人としての負担としての平等です。
資本家と雇用者と労働者がいなくては企業も社会も成り立ちません。
自由を求めながら、他の誰かを否定するということは
本当の自由でしょうか。これについてこの国はどう結論付けるか。
まだ他に違うロジックが存在すると考えています。
それから社会保障については「自由と人権」、
現代誰かの自由を奪って自らの自由を達成したいと
考ていることはないと思います。
だからこそ私は今これを書いています。
現代の社会で自由を求めるなら他の人の人権について
考えなくてはなりません。
また人権を求めるなら社会への貢献を考えなくては
なりません。
今までの日本でも先進国でも本来の「人として生きる」と
いう大切な意味が見えなくなってきているように思います。
以前「invisible hand of God 神の見えざる手 」
これは自由主義経済が発展していくと結果として
全体の利益が達成されるというものですが歴史の中で
夜警国家がみられたように
(いずれこの部分の信仰と経済について書きたいと思います)
グローバル社会ではひとつの国家の中において
そうではないという結果が見えています。
国家として金融と財政と雇用政策を融合して政策を
立てていくということが急務であると思います。
人気ブログランキングへ