幸福の芽 happy sprout みろく maitri Ⅱ

《心の時代へのパラダイムシフト》自分の心をつかんで幸せになりませんか。幸福の芽を探して一歩前に出てみませんか。

Real of Golgotha 神性と悪意の狭間で

2015-02-04 00:03:00 | みろく神示
※今の事件とあまり関係づけず読んで下さい。

  Real of Golgotha

2014.4.22に書いた記事です。
少し違った視点で書き直してみます。
http://blog.goo.ne.jp/mai77337733/e/e3acd07407d81258267fff82ec6dd7fa


 愛の教えを説いたメシアJesus Christ、
それ故にユダヤ教の神官たちはその教えの
内容については認めざるを得ず、
彼らの心、神性が大きく揺さぶられました。
まただからこそJesusに嫉妬もしました。
そしてその存在さえ無くなれば自らが
また高みに上がれるとも考えました。

権威が絶対の社会において権威の外で
メシアが法を説く時、為政者や
多くの権威者は自らの身の置き所が
どうなるのか案じました。

 その教えが広まるにつれ、その法が
本物であることが知られていきます。
その法が我がものになれば自分が
メシアになれる、その法を説く者が
居なくなれば自分がその法を説くことで
自分こそがメシアになれる、
そう考える者もいました。

蛇はそそのかします。
「イエスJesusが詫びるようにしむければ、
 全て自分のものになる」
イエスJesusを悪者にし、侘びを入れさせよう。
彼が侘びを入れたら私たちが正しいと言われる。
そうしたら私たちの立場は守られ、いづれ法は
私たちのものになる。
イエスJesusに侘びを入れさせよう。様々に
悪く言いイエスが詫びるようにしむけます。

蛇はもっとそそのかします。
「イエスJesusが磔になったら人々は
 もうメシアと思うまい。」

イエスJesusは彼らの悪意を見抜いており、
また同時に神性も見えています。表裏一体です。
イエスJesusは天に向かって祈ります。
「神よ、彼らの罪をお許しください。」

そしてゴルゴタの丘があるのです。
イエスと共に処刑されないよう弟子たちは
姿を消しました。
またメシアが処刑されることは無いだろう、
そうも考えました。
十字架にかかりイエスJesusは天に帰りました。

しかし、イエスJesusの存在が無くなったら
どうなったでしょう。
時間がたつにつれてイエスの弟子たちは
イエスの存在そのものによって
自ら存在意義があったことに気がつきます。
自分というものがイエスJesusによって
生かされていたことに気がつきます。
思い出すたびに愛の言葉が自らの神性に
響きます。

Jesusが復活した後、弟子たちは確信と
そして改心により、伝道を開始し、
神の愛を告げる使徒となりました。

あらゆる宗教を超えて
愛の姿を現す者がその命を失うとき
その時、多くの人々の神性に響き、
共鳴を起こしていきます。







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