※3/3、3/4のdiaryに記載したものです。
※3/8追加しました。
幸福の科学にとって私は脅威か。
彼らは私を無視して篭ったワールドを
築いていたほうが
お互い傷つかなくて良いと思います。
私が居なかったら、自分たちは指導で通った。
それは無いでしょう。
私が居なかったら一回目の選挙で
終わっていたはずです。
教団を立て直す、
今更、それも無いでしょう。
自分たちがダメだから私が居る、
それも無いでしょう。
元々の約束だったからです。
私は神が其処にある時に其処にいました。
私は神が其処を去る時に其処を去りました。
其処とは幸福の科学です。
神と共に在るということがどれほどに大切で
どれほどの価値あることか。
日々、様々な選択の中で神を
選び続けるということが
どういうことであるかということです。
では幸福の科学の教祖と教団の役目は何か。
もし、最初の神との契約をそのまま果たして
いたならば
・誠と父と妻と共に謙虚にそれぞれの役割を
果たし、教団を運営してたら、それぞれが
生かされた。
・法の継承が曲がることなく、伝えられた。
・後から現れる私を受け入れ、曲げられずに
継承された法を私が社会に生かし、
前代未聞の社会が現れた。
それがどうして変わってしまったか。
それ以前に戻ってみると解ります。
・神を蔑ろにし、自分が一番偉いとした教祖、
教団から神が離れ、神の啓示がいっさい
降りない。宗教として発展しない。
↑
神に畏敬の念を持ち続け、謙虚に学び、
祈っていたならばこうはならなかった。
大いなる神に畏敬の念を持ち、教団を
運営していたなら発展していた。
・家庭が崩壊し、神の認める信仰生活が
送れないので他者からの信仰が立たない。
↑
離婚もせず、夫婦で共に神が認めるような
信仰生活を送っていたならば
こうはならなかった。
ちなみに私のポジションはご夫婦とは全く
別の存在として与えられるべきものだった。
・我々は神に祈り、神により運営してきたが
おかしくなってしまったと思っているが、
一人ひとりが奢り高ぶる余り、神より
偉くなっている事に気付いていない。
(特に側近)
↑
教団も教祖も常に謙虚であり、神と共に
あろうとすれば、悪魔、悪霊に騙されず
発展していた。
※ちなみに教祖と書いていますが
私の教祖ではありません。
以上簡単ですが、書いてみました。
これだけの理由があったら、あなた方の存在は
神にとって不要でしょう。
つまり本来の役目から自分、自分達が偉いとして
行動してきた為、既に果すべき役割が無くなった
ということでしょう。
一言で言えば神を蔑ろにした為に起きたことです。
ですから、目先のことに目を奪われず、私に構わず、
まず信仰を正し、己を正し、信仰生活を
正すべきです。
その上で神が許されるならば、神は答えるでしょう。
しかし、それにはたくさんのことを詫び、
曲がってしまった法を修正しなくてはなりません。
↑
今更私は関与したくありません。
上記のことが明らかになって以降、私の役割は
幸福の科学と関係無いものとなりました。
特記します。
誠以外に、大川教祖にも時として神が法を
降ろしたことがあります。
たぶん本人は容易く法を降ろしてもらうことに慣れ、
神を上に置かず自分を上に置いて自ら主従の逆転を
起こしたことを忘れてしまったのでしょう。
それで全てを失いました。
法がいっさい降りないのはその為です。
※3/8追加
全ては信仰の下に信仰の下で展開していきます。
言葉や文章がきれいにまとまったところで
そこに神への信無くば、ただの言葉の羅列に
過ぎないとも言えると思いますが。
新たなことを言うものがあっても
そこに信無くば、それもただの分析になります。
幸福の科学の総合本部や王宮に行きたくない、
関係したくないというのは
早くからの私の願いでした。
私はいつもそう祈っていました
つまり、必ず死闘となるということです。
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※3/8追加しました。
幸福の科学にとって私は脅威か。
彼らは私を無視して篭ったワールドを
築いていたほうが
お互い傷つかなくて良いと思います。
私が居なかったら、自分たちは指導で通った。
それは無いでしょう。
私が居なかったら一回目の選挙で
終わっていたはずです。
教団を立て直す、
今更、それも無いでしょう。
自分たちがダメだから私が居る、
それも無いでしょう。
元々の約束だったからです。
私は神が其処にある時に其処にいました。
私は神が其処を去る時に其処を去りました。
其処とは幸福の科学です。
神と共に在るということがどれほどに大切で
どれほどの価値あることか。
日々、様々な選択の中で神を
選び続けるということが
どういうことであるかということです。
では幸福の科学の教祖と教団の役目は何か。
もし、最初の神との契約をそのまま果たして
いたならば
・誠と父と妻と共に謙虚にそれぞれの役割を
果たし、教団を運営してたら、それぞれが
生かされた。
・法の継承が曲がることなく、伝えられた。
・後から現れる私を受け入れ、曲げられずに
継承された法を私が社会に生かし、
前代未聞の社会が現れた。
それがどうして変わってしまったか。
それ以前に戻ってみると解ります。
・神を蔑ろにし、自分が一番偉いとした教祖、
教団から神が離れ、神の啓示がいっさい
降りない。宗教として発展しない。
↑
神に畏敬の念を持ち続け、謙虚に学び、
祈っていたならばこうはならなかった。
大いなる神に畏敬の念を持ち、教団を
運営していたなら発展していた。
・家庭が崩壊し、神の認める信仰生活が
送れないので他者からの信仰が立たない。
↑
離婚もせず、夫婦で共に神が認めるような
信仰生活を送っていたならば
こうはならなかった。
ちなみに私のポジションはご夫婦とは全く
別の存在として与えられるべきものだった。
・我々は神に祈り、神により運営してきたが
おかしくなってしまったと思っているが、
一人ひとりが奢り高ぶる余り、神より
偉くなっている事に気付いていない。
(特に側近)
↑
教団も教祖も常に謙虚であり、神と共に
あろうとすれば、悪魔、悪霊に騙されず
発展していた。
※ちなみに教祖と書いていますが
私の教祖ではありません。
以上簡単ですが、書いてみました。
これだけの理由があったら、あなた方の存在は
神にとって不要でしょう。
つまり本来の役目から自分、自分達が偉いとして
行動してきた為、既に果すべき役割が無くなった
ということでしょう。
一言で言えば神を蔑ろにした為に起きたことです。
ですから、目先のことに目を奪われず、私に構わず、
まず信仰を正し、己を正し、信仰生活を
正すべきです。
その上で神が許されるならば、神は答えるでしょう。
しかし、それにはたくさんのことを詫び、
曲がってしまった法を修正しなくてはなりません。
↑
今更私は関与したくありません。
上記のことが明らかになって以降、私の役割は
幸福の科学と関係無いものとなりました。
特記します。
誠以外に、大川教祖にも時として神が法を
降ろしたことがあります。
たぶん本人は容易く法を降ろしてもらうことに慣れ、
神を上に置かず自分を上に置いて自ら主従の逆転を
起こしたことを忘れてしまったのでしょう。
それで全てを失いました。
法がいっさい降りないのはその為です。
※3/8追加
全ては信仰の下に信仰の下で展開していきます。
言葉や文章がきれいにまとまったところで
そこに神への信無くば、ただの言葉の羅列に
過ぎないとも言えると思いますが。
新たなことを言うものがあっても
そこに信無くば、それもただの分析になります。
幸福の科学の総合本部や王宮に行きたくない、
関係したくないというのは
早くからの私の願いでした。
私はいつもそう祈っていました
つまり、必ず死闘となるということです。
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