新型うつの話がここ最近取り上げられています。
一時自分が悪いと言いながら、実は自分は悪くないと
思っている。
最終的には人や環境を悪いと思い、そう言う。
自分が間違っていないと言う価値観と
社会の常識とのギャップが埋められず現実的に
適合できず、うつ状態になっていく。
しかし、その環境を離れ、自分が正当化できる環境に
居ると通常の生活を送ることができる。
厳しいですが現時点ではこう考えます。
環境が合わないのに非常に無理しているときも
あるでしょうが自らがその環境から離れようとは
しないのではないでしょうか。
世の中には自分が悪いと思い自分を責め続ける人がいます。
また、自分は悪くないと言い相手を責め続ける人がいます。
自分のプライドと環境で認識される自分のギャップに
耐え切れない人もいます。
そして精神を病んでいく方がおられます。
どれもバランスが悪く、正見に至れないと思います。
また相手を攻撃して自分を正当化する人たちもいます。
正見としては論外だと思います。
競争原理の中でも正当な競争というものをご存知の方は
多いでしょう。逆に言えば汚い手を使わないと
いうことでもあると思います。
私自身、今までに何度も私のせい、私が悪者にされて
非常に辛い人生を送ってきました。
既にブログに書いています。
書こうと思っていた訳ではなく書かずには
いられなかったということです。
士会の男性は自分が悪く言われないために
また自分が上にいるために私の言い方が悪いと言って
それから私と口を聞かず、追い出しにかかりました。
もうひとり士会の女性は自分の間違いを指摘されると
もっと上の上司に泣きついて自分を弱いものとして
現実には私と口をきかず、私に意地悪をしていきました。
彼女は私が嘲笑う行為が良くないと言ったら私を避け続け、
自分の見方になる上役の人に見出し、
それから排他的にしか動きませんでした。
稔は自分の自分のせいにならないように私を悪者にし
自分が悪いと責められないように私を責め続けました。
かなり以前のある男性は自分が壊した物を私がやったと
私のせいにして私が悪い人間というレッテルを貼り
周りの人を巻き込み十数年もいやがらせの電話を
してきました。その会社は二十年以上たっても
また私を悪者にするために動きました。
レイプ事件のあの男も私が悪いと何度も
刷り込んできました。その後も追われました。
こんな私の因果の理法は自虐的な私、自分を
責めすぎる私から脱して、
正見に身を置いて行動していくことでした。
そういう私の姿を知っているからこそ私は
神の臨在を感じるのだと思います。
弱かった私を強くしたのは「大切な人への愛」
それから「信仰と他者への愛」だったと思います。
そしてちょっと年を重ねたことかもしれません。
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