田舎住まいを始めて早いもので1年と半年を過ぎようとしている。
たぶんこのブログ文面のアップが本年最後になるであろうかと思う。
田舎暮らしを始めて当初の3ヶ月は本当に何もしないでいた。
というより、まったく体が動かずに意欲沸かないでいた。
精神的に疲れ、対人的にも疲れ、生き方そのものに疲れ・・・・・。
恐ろしい事をも考えていたし、恐ろしい事を実行する方が良作かもなどと
日々空を眺めては考えていた。
重大な体の疾患や遅々と進まぬ怪我の回復を抱えていたし、
先行きの見えない自分に精神状態も今は振り返る事ができるが
尋常でなかったように思う。
田舎住まいを始める前の1年間に災難が4度訪れた。
1度目は、足が思うように動かなくて浮腫みが目立つ。痛くてまともに歩けない。
その治療に通っている時、思うように足が動かないので営業活動の移動を
アクセルとブレーキ操作が遅れるので市バスでしていて
最寄のバス停で下車時に市バスの降車口から転落。
膝の半月板が両足砕けた。
それでも、信頼置けるウッチー(愛称)整形外科へ通院を続けて徐々に良くなりつつ
なってきたある日へ1度目の交通事故。
車道で側面から跳ねられた。
考え事が多くて、注意散漫であったことが原因。
肋骨と右肩、右腕に強烈な打撲。全身、青あざ。
足の動き、膝が少し良くなったので筋力を維持しようと、自転車に乗る日を増やす。
京都市内はほとんど自転車で移動することにした。
夕方、信号無視のおばさんドライバーに停車中に撥ねられた。
私が居てるのが見えなかったと言う。
その治療中、採尿検査で血尿が止まらない。
ハイ!腎臓がパンクである!
もうこうなれば落ち込みまくり。
そしてダメ押しの一発!転倒で左腕の骨折・肋軟骨損傷。
京の街中での生活を一区切りをして今までの仕事を良く考え田舎暮らしを
薦めてくれる方がいた。陶芸家の師である。
あの一言が無ければまだまだその時の≪業≫へばりついて結局は命を縮めていたか、
心を患っていたように思う。
それなりに事業に関しては悩みはあった。万年資金不足。
整理して少し休もうという気持ちになるには少し時間がかかったように思う。
しかし、このままでは体が持たないという事がすぐ理解できるようになった。
日常の生活に周りの親しい方から再三にわたり注意を受け、叱られてはいたが・・・。
まったく寝耳に水。無視はしていないがなぜキツク偉そうに言われているのかが
理解できずにいた。
しかし、そんな態度に呆れられてその声を聞かなくなったし友情も去っていった。
直後、強烈な災いが≪イワンこっちゃ無い≫その状態で次々に身に降りかかったのである。
中学生の頃、中国大陸で軽機関銃を持ち抗日と戦っていた叔父が私に良く言った。
「お前は我がきつく自身しか信用していない。だから弾に当たって死ぬのが一番早い!」
「『身を伏せろ!』と言っているのに『当たるものか!』と言って死ぬ兵隊を見てきた。」
等と。
知人の案内で高野山へ行った後だったと思うある日、
体が辛くて寝られないでいる夜、うとうとしかけたら身内の夢を見た。
その墓参りに行った。墓裏の字をなぞり57歳で亡くなっていた。
その時、あと7年だと思ったのを明確に記憶している。
そんな理由で少し見つめなおす時期が来ていたのであろう
にぎやかで友人の多い私が取引先関係やお客を無責任な形で田舎に引っ越すと
誰もが真実でないと思ったらしい。
そんな私の独自発想世界を突拍子のない思い付きの≪池ワールドの展開論≫と
呼ぶ方が多くいる。
私は真剣に考えて行動をしているのであるが、繰り出される行動の発動が奇異に感じ、
どうやら、その方々は自分が常識人という錯覚からか私の行動をそのような目で
見ているようで、常識とはかけ離れた感を持たれているようでもある。
小馬鹿な嘲笑の目で私との会見の時間を持つ方もいる。
簡単に論破できる持論展開をする方もおいでだ。
では、その、奇異に感じることの多い行動常識とは何か?
先回も述べたことがあるが≪常識≫とは、個人各位の感覚の多数であり
≪常識外れ≫という確定は大いなる勘違いの表現であるようにしか私は考えていない。
多数決で決定された≪常識≫を構成する意見要素の中で≪常識外れ≫の中に
≪常識≫のParadox(逆説)の≪常識外れ≫の中に正論が生じないか?
そこを深く考える事が私の場合多い。
多数決は、物象に関して正否を問うものでも無いし、事実を確証する為の同意数でも無い。
そして、事実の起こしうる将来の予測を決定するものでは無い。
この事が私の行動原則である。
私の感覚や実際の生活や行動で。私自身なんら独自性があるとは考えていない。
私にとっては普通。
名曲探訪 ・「新日本紀行」 富田勲 / Isao Tomita
田舎に住んでいてテレビや新聞などの放送局の発する電波や新聞社の活字で
一方向性に伝わる雑多な情報より開放され、なんら影響の無い時空に身を置いていると
山の向こうの向こうの向こう・・・・・、かえって、都市の状況がよく見えるものである。
田舎に住みながら都会にたまに出てゆく度に新しい変化や流れに目を配り観察していて
時流や流行に流されず、自らの考えを自身の力で実行する力が宿りそうにも思う。
そんな人、カントリージェントルマンに憧れていたりもする。
そのような人に憧れているからか、とことん静かな環境下で妄想を絶えず見ている。
とことん物象と事象の流れを観察考察し、その中で踊る本物を追求し生活に取り入れる事。
例えば・・・・・こんな理想をも考えていたりもする。
ヘンリー・プールのオーダースーツを作り
ターンブル&アッサーのオーダーシャツを誂え
ロックでソフト帽を買い、
ブリックで作られた絹張りの傘を手に霧のロンドンの街を歩き
7471番のナンバープレートのベントレーに乗って田舎道を飛ばしてみようか?
いやそれまでに、古いランチャで奥飛騨の温泉旅に出てみたいものだ。
気の合う仲間がいて静かに顔を寄せボソボソくだらない話をして
ときたま、草原の川原に寝て真上の空を見て、声をこらえて腹を抱えて笑ってみたい。
しかし、いつも笑う楽しい安楽な相手ではなく、
幾つになっても叱ってくれる方が居ない事は人生不幸な事で寂しい極みである。
叱ってくれた方のご好意で好物が届き、その方の叱ってくれた真意と真剣を改めて知り、
失ってから関係を取り戻す事は容易な事では無いと実感している。
歳をとってからの反省点が多すぎる。
たぶんこのブログ文面のアップが本年最後になるであろうかと思う。
田舎暮らしを始めて当初の3ヶ月は本当に何もしないでいた。
というより、まったく体が動かずに意欲沸かないでいた。
精神的に疲れ、対人的にも疲れ、生き方そのものに疲れ・・・・・。
恐ろしい事をも考えていたし、恐ろしい事を実行する方が良作かもなどと
日々空を眺めては考えていた。
重大な体の疾患や遅々と進まぬ怪我の回復を抱えていたし、
先行きの見えない自分に精神状態も今は振り返る事ができるが
尋常でなかったように思う。
田舎住まいを始める前の1年間に災難が4度訪れた。
1度目は、足が思うように動かなくて浮腫みが目立つ。痛くてまともに歩けない。
その治療に通っている時、思うように足が動かないので営業活動の移動を
アクセルとブレーキ操作が遅れるので市バスでしていて
最寄のバス停で下車時に市バスの降車口から転落。
膝の半月板が両足砕けた。
それでも、信頼置けるウッチー(愛称)整形外科へ通院を続けて徐々に良くなりつつ
なってきたある日へ1度目の交通事故。
車道で側面から跳ねられた。
考え事が多くて、注意散漫であったことが原因。
肋骨と右肩、右腕に強烈な打撲。全身、青あざ。
足の動き、膝が少し良くなったので筋力を維持しようと、自転車に乗る日を増やす。
京都市内はほとんど自転車で移動することにした。
夕方、信号無視のおばさんドライバーに停車中に撥ねられた。
私が居てるのが見えなかったと言う。
その治療中、採尿検査で血尿が止まらない。
ハイ!腎臓がパンクである!
もうこうなれば落ち込みまくり。
そしてダメ押しの一発!転倒で左腕の骨折・肋軟骨損傷。
京の街中での生活を一区切りをして今までの仕事を良く考え田舎暮らしを
薦めてくれる方がいた。陶芸家の師である。
あの一言が無ければまだまだその時の≪業≫へばりついて結局は命を縮めていたか、
心を患っていたように思う。
それなりに事業に関しては悩みはあった。万年資金不足。
整理して少し休もうという気持ちになるには少し時間がかかったように思う。
しかし、このままでは体が持たないという事がすぐ理解できるようになった。
日常の生活に周りの親しい方から再三にわたり注意を受け、叱られてはいたが・・・。
まったく寝耳に水。無視はしていないがなぜキツク偉そうに言われているのかが
理解できずにいた。
しかし、そんな態度に呆れられてその声を聞かなくなったし友情も去っていった。
直後、強烈な災いが≪イワンこっちゃ無い≫その状態で次々に身に降りかかったのである。
中学生の頃、中国大陸で軽機関銃を持ち抗日と戦っていた叔父が私に良く言った。
「お前は我がきつく自身しか信用していない。だから弾に当たって死ぬのが一番早い!」
「『身を伏せろ!』と言っているのに『当たるものか!』と言って死ぬ兵隊を見てきた。」
等と。
知人の案内で高野山へ行った後だったと思うある日、
体が辛くて寝られないでいる夜、うとうとしかけたら身内の夢を見た。
その墓参りに行った。墓裏の字をなぞり57歳で亡くなっていた。
その時、あと7年だと思ったのを明確に記憶している。
そんな理由で少し見つめなおす時期が来ていたのであろう
にぎやかで友人の多い私が取引先関係やお客を無責任な形で田舎に引っ越すと
誰もが真実でないと思ったらしい。
そんな私の独自発想世界を突拍子のない思い付きの≪池ワールドの展開論≫と
呼ぶ方が多くいる。
私は真剣に考えて行動をしているのであるが、繰り出される行動の発動が奇異に感じ、
どうやら、その方々は自分が常識人という錯覚からか私の行動をそのような目で
見ているようで、常識とはかけ離れた感を持たれているようでもある。
小馬鹿な嘲笑の目で私との会見の時間を持つ方もいる。
簡単に論破できる持論展開をする方もおいでだ。
では、その、奇異に感じることの多い行動常識とは何か?
先回も述べたことがあるが≪常識≫とは、個人各位の感覚の多数であり
≪常識外れ≫という確定は大いなる勘違いの表現であるようにしか私は考えていない。
多数決で決定された≪常識≫を構成する意見要素の中で≪常識外れ≫の中に
≪常識≫のParadox(逆説)の≪常識外れ≫の中に正論が生じないか?
そこを深く考える事が私の場合多い。
多数決は、物象に関して正否を問うものでも無いし、事実を確証する為の同意数でも無い。
そして、事実の起こしうる将来の予測を決定するものでは無い。
この事が私の行動原則である。
私の感覚や実際の生活や行動で。私自身なんら独自性があるとは考えていない。
私にとっては普通。
名曲探訪 ・「新日本紀行」 富田勲 / Isao Tomita
田舎に住んでいてテレビや新聞などの放送局の発する電波や新聞社の活字で
一方向性に伝わる雑多な情報より開放され、なんら影響の無い時空に身を置いていると
山の向こうの向こうの向こう・・・・・、かえって、都市の状況がよく見えるものである。
田舎に住みながら都会にたまに出てゆく度に新しい変化や流れに目を配り観察していて
時流や流行に流されず、自らの考えを自身の力で実行する力が宿りそうにも思う。
そんな人、カントリージェントルマンに憧れていたりもする。
そのような人に憧れているからか、とことん静かな環境下で妄想を絶えず見ている。
とことん物象と事象の流れを観察考察し、その中で踊る本物を追求し生活に取り入れる事。
例えば・・・・・こんな理想をも考えていたりもする。
ヘンリー・プールのオーダースーツを作り
ターンブル&アッサーのオーダーシャツを誂え
ロックでソフト帽を買い、
ブリックで作られた絹張りの傘を手に霧のロンドンの街を歩き
7471番のナンバープレートのベントレーに乗って田舎道を飛ばしてみようか?
いやそれまでに、古いランチャで奥飛騨の温泉旅に出てみたいものだ。
気の合う仲間がいて静かに顔を寄せボソボソくだらない話をして
ときたま、草原の川原に寝て真上の空を見て、声をこらえて腹を抱えて笑ってみたい。
しかし、いつも笑う楽しい安楽な相手ではなく、
幾つになっても叱ってくれる方が居ない事は人生不幸な事で寂しい極みである。
叱ってくれた方のご好意で好物が届き、その方の叱ってくれた真意と真剣を改めて知り、
失ってから関係を取り戻す事は容易な事では無いと実感している。
歳をとってからの反省点が多すぎる。