本日、深夜、2回目の鹿との衝突である。
先回は、1週間ほど前にこれも深夜であるが山道の離合用の退避場所に停車して
小用中にキャラバンのリアドアに後ろ向きで高々と数回蹴りを入れるオス鹿。
今回は、上桂川の堤防を走る府道走行中にガードレールを跳び越して来た
しっかりと角を持つオス鹿が左前の車体に激突してきた。
アンダーミラーと左サイドミラーのステーに最初に当たったみたいで
その場で停車しミラー本体の角度を調整した。
一瞬の出来事で急ブレーキするも止まりきれない。
ここのところ、ブレーキの効きが少し甘くなったような気もするのだが・・・・・。
実際にディスクローターとブレーキパッドの交換時期でもある。
そんな山奥に住みだしてもうすぐ二ヶ月になろうとする。
買い物の不便を感じるのと、人と会う事が少ないので、
ついついご近所との会話の時間が長くなるな~と思うぐらいである。
買い物の不便に関しては外出時に買い込む事や過不足の無いようにする事も
今までは板についてきたように思う。
自炊の料理はこの頃バッチリ!先日はタンドリーチキンに挑戦した。
こいつは最高傑作であった。
なので、冷蔵庫はいつも満杯。
食材だけは豊富にストックをしている。
先日、気の向くままに山陰方面へ小旅行とまでもいかないが出かけた事は
前ブログ記事で記したが、その時の沿道の景色は大変良く、
又、青々と実ろうとする稲穂の均一なスクエアに広がる絨毯は
目に優しく、車窓を開けてはいる空気は若穂の香りがして
体にも優しく思った。
今住む周りにも、同様の風景を見る事ができる。
山陰地方とは又違う京都の里山の風景。
どこか懐かしく毎日が癒されている事に嬉しく思うのだが・・・。
実際、住む期間が長くなればその目に入る恩恵も慣れてしまい
仕舞いにはその変化の感動を感じ無くなる様になると思うので、
最初の一年間は全ての変化事象に新鮮さを感じていたいと思う。
つい最近、お向かいの山の中腹に住まいするK氏邸が屋根の葺き替えをした。
かやぶきの部分を全て銅版を葺いた。

まぶしい。
瓦屋根や都会の屋根素材を見慣れた者には少し奇怪に感じるかもしれない。
雷のある日は作業をしていなかったな~。
そりゃそうであろう。山の中腹で金属板の上それも銅の上での作業である。
ここに雷サンどうぞ来てくださいというのに等しい。
何よりも、
この仕事を専業とする職人でないと無理な作業のようである。
Louis Armstrong - What a wonderful world Lyrics
人の生活と自然との共存をこの頃特に感じる。
鹿も山に住む自然の一つと考えるなれば、
その害を実際に私は鹿の被害をこうむっている。
自然の害、即ちこれも天災の一つかもしれない。
今夜の一回は、ブレーキの効きのせいにできようが、
執拗に蹴りを入れるオス鹿の姿を見れば追い払う事もできず
恐怖さえも感じてしまった。
自然の怒り。でもよりによって車に蹴りを入れるとは?????????。
しかし、自然の夏の緑は美しい。自然の秋の赤はどうであろう?
冬の銀はいかがか?
春の桃色は・・・・・・・。
その時期まで命が有るかすらこの自然の中ではどうでも良い気持ちになる。
生かされている自分が気付く事ができてよかったのかもしれない。
この頃怒る事が少なくなった。
というか、怒る必要が無くなった。
事象は私の周りで自然に消化や発酵し、甘く芳醇端麗に糖化しているようだ。
不思議な夢のような中で足が何かしら浮いているような感じの状態が続いている。
実際に生きていかねば!という意欲と、生きている!という不思議が、
いつまで続くのか、少し不安でもあるが・・・・・。
そろそろ現実に戻ろうではないかとも考えだしている。
先回は、1週間ほど前にこれも深夜であるが山道の離合用の退避場所に停車して
小用中にキャラバンのリアドアに後ろ向きで高々と数回蹴りを入れるオス鹿。
今回は、上桂川の堤防を走る府道走行中にガードレールを跳び越して来た
しっかりと角を持つオス鹿が左前の車体に激突してきた。
アンダーミラーと左サイドミラーのステーに最初に当たったみたいで
その場で停車しミラー本体の角度を調整した。
一瞬の出来事で急ブレーキするも止まりきれない。
ここのところ、ブレーキの効きが少し甘くなったような気もするのだが・・・・・。
実際にディスクローターとブレーキパッドの交換時期でもある。
そんな山奥に住みだしてもうすぐ二ヶ月になろうとする。
買い物の不便を感じるのと、人と会う事が少ないので、
ついついご近所との会話の時間が長くなるな~と思うぐらいである。
買い物の不便に関しては外出時に買い込む事や過不足の無いようにする事も
今までは板についてきたように思う。
自炊の料理はこの頃バッチリ!先日はタンドリーチキンに挑戦した。
こいつは最高傑作であった。
なので、冷蔵庫はいつも満杯。
食材だけは豊富にストックをしている。
先日、気の向くままに山陰方面へ小旅行とまでもいかないが出かけた事は
前ブログ記事で記したが、その時の沿道の景色は大変良く、
又、青々と実ろうとする稲穂の均一なスクエアに広がる絨毯は
目に優しく、車窓を開けてはいる空気は若穂の香りがして
体にも優しく思った。
今住む周りにも、同様の風景を見る事ができる。
山陰地方とは又違う京都の里山の風景。
どこか懐かしく毎日が癒されている事に嬉しく思うのだが・・・。
実際、住む期間が長くなればその目に入る恩恵も慣れてしまい
仕舞いにはその変化の感動を感じ無くなる様になると思うので、
最初の一年間は全ての変化事象に新鮮さを感じていたいと思う。
つい最近、お向かいの山の中腹に住まいするK氏邸が屋根の葺き替えをした。
かやぶきの部分を全て銅版を葺いた。

まぶしい。
瓦屋根や都会の屋根素材を見慣れた者には少し奇怪に感じるかもしれない。
雷のある日は作業をしていなかったな~。
そりゃそうであろう。山の中腹で金属板の上それも銅の上での作業である。
ここに雷サンどうぞ来てくださいというのに等しい。
何よりも、
この仕事を専業とする職人でないと無理な作業のようである。
Louis Armstrong - What a wonderful world Lyrics
人の生活と自然との共存をこの頃特に感じる。
鹿も山に住む自然の一つと考えるなれば、
その害を実際に私は鹿の被害をこうむっている。
自然の害、即ちこれも天災の一つかもしれない。
今夜の一回は、ブレーキの効きのせいにできようが、
執拗に蹴りを入れるオス鹿の姿を見れば追い払う事もできず
恐怖さえも感じてしまった。
自然の怒り。でもよりによって車に蹴りを入れるとは?????????。
しかし、自然の夏の緑は美しい。自然の秋の赤はどうであろう?
冬の銀はいかがか?
春の桃色は・・・・・・・。
その時期まで命が有るかすらこの自然の中ではどうでも良い気持ちになる。
生かされている自分が気付く事ができてよかったのかもしれない。
この頃怒る事が少なくなった。
というか、怒る必要が無くなった。
事象は私の周りで自然に消化や発酵し、甘く芳醇端麗に糖化しているようだ。
不思議な夢のような中で足が何かしら浮いているような感じの状態が続いている。
実際に生きていかねば!という意欲と、生きている!という不思議が、
いつまで続くのか、少し不安でもあるが・・・・・。
そろそろ現実に戻ろうではないかとも考えだしている。