耕作している、とある一枚の畑が未整備で永く放任されていた水田の跡。
その耕作放棄地を私が畑に転用しようとしているのであるが、
ひじょうに排水が悪くいつまでも湿田の状態で
耕作できる状態ではない。
この状態を改善すべく色々と毎日思案をしているので有るが
今日はとにかくその状態を確認してみようと
草が伸びっぱなしの明渠(排水のための溝)部分の草刈をしてその状態を
確認をしてみた。
下記の画像はその草刈前の圃場に作られた明渠の状態。
どこに溝が堀られているのかも分からない状態である。
この草の中にその溝が隠れていて適当な傾斜を持って
圃場内に有る排水口を経て畦をくぐり排水される。
その圃場に作られた明渠と耕作地を区切る畦に茂る草を刈り払ったのが
下記の画像。
その排水のための設備が見て取れようかと思う。
しかしながら、その先に有る排水口までの傾斜が永い年月未整備であったために
泥や枯れ草が溜まってその傾斜は失われている。
本来なら、画像手前方向から向こう方向へわずかな傾斜が作られていて
圃場の中で溜まった水は一度画像手前へ集まってこの画像の明渠を
向こう側に流れて排水される。
その草刈の途中、刈払い機の刃を変えた。
私は良く使うナイロンコードの使用はあまりすべきで無いとの考えを持つ。
よって回転が加わると少し重たくなるが昔ながらの八枚刃を使用している。
その刃の状態のビフォー・アフターが下記画像2枚。
ナイロンコードの使用はその場所を適切に選ばなければならない。
研ぎを入れて数回使用しているとこの径まで小径となる。
5mmは直径が小さくなった。
下記画像からは、その私独自の刃のチューニングが見て取れるかと思うが・・・・。
私がナイロンコードを使用しない理由は、先ず第一にナイロンコードによって
弾かれた石が周囲に飛散して栽培している作物にそれが当たると損壊する
危険が高い事。
そして、叩き切る構造ゆえに本来は傷をつけない雑草の根までを切る事になる事。
恐ろしいのは、この弊害。
草の根を切ることは、根が張ることにより強度を保ち土を引き締めている
畦の強度を落とし、その結果、土の緻密性が失われて透過浸透の圧に
耐えられずに、本来の水田で生育に必要な貯水性能が衰える結果となる。
即ち、
水持ちが悪く絶えず水田への引水管理が必要となる。
現に私の管理する圃場の隣の水田では畦の斜面から大量の水が染み出していて、
その斜面に私の半身体重を手で掛けてみるとずぶりと簡単に拳が入る状態である。
草刈の必要性は充分認識しているので有るが過剰なまでの草刈は
いかがなものであろうか?
カメムシやイナゴの宿る草木が無いことは・・・・・・・。
米作農業体験者ならその結論はご理解いただけるのではないかと思う。
自然と調和と最低限の被害の容認ができない農業は農業ではない!
すばらしい農産物を生産する事だけが農業ではない!
自然を理解できず、口を動かし権威を振りかざし古い因習や継承が最善と考えて
研究の為に体と頭脳を動かさない農業者は現代では真の農業者ではないのである。
自然に対する道徳心を持たない農業者が多いことに驚く時がある。
最近、私が農作業をその日分を終了する時点の基準で、
《今日はこんなもんにしといたろ!!》と、
自身に言い聞かせて終了するようにしている。
自然に対してだが、痛めつけているのでせめての武士の情けを含めている。
翌日の朝、同じ場所に立ってみて眺めていて、
その場所で仕事にかかる時に思わず自分らしさに気付く。
《完璧では無く少しの中途半端を残している状態が多い。》
やはり、《ソコソコ・無難》という言葉が私には
すごくこの頃では心地が良い。
以前は完璧で無いといけない人間であったが、なぜか変わったようだ。
京都大学理学部の今西錦司先生は生育環境がその生体(態ではない。)の形を
変化させる論文を出しておられる。
例えれば、明石海峡の真鯛と若狭湾の真鯛とでは形色が違う。
殺虫剤抵抗性の虫が登場することは・・・。
その先の起りうるべき事を考えてみると良く分かるであろう。
それを延々と繰り返す事だけは避けてみたい。
人が作り出した化学物質を軽々と乗り越える虫の生存生態が有る。
人間はいつも敗者である。
転げ落ちるピタゴラ装置の終着とアルゴリズム行進の到着地は白旗だ。
私は最近の暫くは排水が悪い日々が続いているので、
もやもやっと沼気(CH4)が溜まり、炭素原子1個に水素原子4個が結びつく。
発火の危険性はその水素原子と加えた塩素とそのときの温度により実現する。
そのうち、運動会のように畑に万国旗を張ることにする。
今日の文面から私の脳内を適切な理解できる方は居るのか?
私だけが食べる米は、苗代で苗を育て、牛で代掻きをし、皆総出で田植えをして、
草刈機を田の中を手押しして、鎌で稲を刈り、稲木で天日で稲を干し、
足ふみ脱穀機で脱穀し、手回しでもみを摺り、水車で米を搗き、
できたお米は少しの虫の食害を受けてぽつぽつと黒いお米が混ざるが、
カマドで御飯を炊かなければ美味しくいただけないような米の生産をしようか?
これは究極のこだわりのお米!
至福の幸福感が有るかもしれない。
その耕作放棄地を私が畑に転用しようとしているのであるが、
ひじょうに排水が悪くいつまでも湿田の状態で
耕作できる状態ではない。
この状態を改善すべく色々と毎日思案をしているので有るが
今日はとにかくその状態を確認してみようと
草が伸びっぱなしの明渠(排水のための溝)部分の草刈をしてその状態を
確認をしてみた。
下記の画像はその草刈前の圃場に作られた明渠の状態。
どこに溝が堀られているのかも分からない状態である。
この草の中にその溝が隠れていて適当な傾斜を持って
圃場内に有る排水口を経て畦をくぐり排水される。
その圃場に作られた明渠と耕作地を区切る畦に茂る草を刈り払ったのが
下記の画像。
その排水のための設備が見て取れようかと思う。
しかしながら、その先に有る排水口までの傾斜が永い年月未整備であったために
泥や枯れ草が溜まってその傾斜は失われている。
本来なら、画像手前方向から向こう方向へわずかな傾斜が作られていて
圃場の中で溜まった水は一度画像手前へ集まってこの画像の明渠を
向こう側に流れて排水される。
その草刈の途中、刈払い機の刃を変えた。
私は良く使うナイロンコードの使用はあまりすべきで無いとの考えを持つ。
よって回転が加わると少し重たくなるが昔ながらの八枚刃を使用している。
その刃の状態のビフォー・アフターが下記画像2枚。
ナイロンコードの使用はその場所を適切に選ばなければならない。
研ぎを入れて数回使用しているとこの径まで小径となる。
5mmは直径が小さくなった。
下記画像からは、その私独自の刃のチューニングが見て取れるかと思うが・・・・。
私がナイロンコードを使用しない理由は、先ず第一にナイロンコードによって
弾かれた石が周囲に飛散して栽培している作物にそれが当たると損壊する
危険が高い事。
そして、叩き切る構造ゆえに本来は傷をつけない雑草の根までを切る事になる事。
恐ろしいのは、この弊害。
草の根を切ることは、根が張ることにより強度を保ち土を引き締めている
畦の強度を落とし、その結果、土の緻密性が失われて透過浸透の圧に
耐えられずに、本来の水田で生育に必要な貯水性能が衰える結果となる。
即ち、
水持ちが悪く絶えず水田への引水管理が必要となる。
現に私の管理する圃場の隣の水田では畦の斜面から大量の水が染み出していて、
その斜面に私の半身体重を手で掛けてみるとずぶりと簡単に拳が入る状態である。
草刈の必要性は充分認識しているので有るが過剰なまでの草刈は
いかがなものであろうか?
カメムシやイナゴの宿る草木が無いことは・・・・・・・。
米作農業体験者ならその結論はご理解いただけるのではないかと思う。
自然と調和と最低限の被害の容認ができない農業は農業ではない!
すばらしい農産物を生産する事だけが農業ではない!
自然を理解できず、口を動かし権威を振りかざし古い因習や継承が最善と考えて
研究の為に体と頭脳を動かさない農業者は現代では真の農業者ではないのである。
自然に対する道徳心を持たない農業者が多いことに驚く時がある。
最近、私が農作業をその日分を終了する時点の基準で、
《今日はこんなもんにしといたろ!!》と、
自身に言い聞かせて終了するようにしている。
自然に対してだが、痛めつけているのでせめての武士の情けを含めている。
翌日の朝、同じ場所に立ってみて眺めていて、
その場所で仕事にかかる時に思わず自分らしさに気付く。
《完璧では無く少しの中途半端を残している状態が多い。》
やはり、《ソコソコ・無難》という言葉が私には
すごくこの頃では心地が良い。
以前は完璧で無いといけない人間であったが、なぜか変わったようだ。
京都大学理学部の今西錦司先生は生育環境がその生体(態ではない。)の形を
変化させる論文を出しておられる。
例えれば、明石海峡の真鯛と若狭湾の真鯛とでは形色が違う。
殺虫剤抵抗性の虫が登場することは・・・。
その先の起りうるべき事を考えてみると良く分かるであろう。
それを延々と繰り返す事だけは避けてみたい。
人が作り出した化学物質を軽々と乗り越える虫の生存生態が有る。
人間はいつも敗者である。
転げ落ちるピタゴラ装置の終着とアルゴリズム行進の到着地は白旗だ。
私は最近の暫くは排水が悪い日々が続いているので、
もやもやっと沼気(CH4)が溜まり、炭素原子1個に水素原子4個が結びつく。
発火の危険性はその水素原子と加えた塩素とそのときの温度により実現する。
そのうち、運動会のように畑に万国旗を張ることにする。
今日の文面から私の脳内を適切な理解できる方は居るのか?
私だけが食べる米は、苗代で苗を育て、牛で代掻きをし、皆総出で田植えをして、
草刈機を田の中を手押しして、鎌で稲を刈り、稲木で天日で稲を干し、
足ふみ脱穀機で脱穀し、手回しでもみを摺り、水車で米を搗き、
できたお米は少しの虫の食害を受けてぽつぽつと黒いお米が混ざるが、
カマドで御飯を炊かなければ美味しくいただけないような米の生産をしようか?
これは究極のこだわりのお米!
至福の幸福感が有るかもしれない。