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トルコと日本の友好

2023-03-09 08:16:59 | Weblog
映画「海難1890」チャリティー上映会が3月21日、串本町文化センター(串本町串本)で開催される。

https://wakayama.keizai.biz/headline/2278/




ニュースになったときに、「わたしもそれやるべきだと思ってました!」って記事書いたつもりが、、、消えてました。
たった2行の下書きのまま、、、かなりの大作、書き上げたつもりだったのに…_| ̄|○。
気を取り直して、もう一度書きます。




1890年 トルコ(当時はオスマントルコ)の軍艦エルトゥールル号が使節団として来日、その帰りに和歌山沖で座礁沈没した事件。
今の串本町当たりの貧しい村民が嵐の中海難救助を行い、69名が救助され帰国することができました。


日本人のほとんどはこの事件を知りません。
私もTVおドキュメンタリーで見るまでは知りませんでした。
2018年に、この事件を知って和や山旅行でトルコ記念館を訪ね、映画が製作されていたことを知り、サブスクで見ました。



この映画は、アマゾンプライムやhuluで見ることができます。(他は契約していないのでワカリマセン)

トルコ人は親日家が多いのは、この事件のお陰だということもその時しりました。

トルコは遠い国です。
普段、一般人はかかわることのない国です。
イメージとしては、「月の砂漠」でしょうか。
今はイスラムの国ですし、有名な観光地としては「トロイ」や「カッパドキア」ですね。

私は「王家の紋章」なので、イズミル王子の国。
「天は赤い河のほとり」では舞台になっているヒッタイトです。

歌だと「飛んでイスタンブール」やイメージ的には「異邦人」もそんな感じかな。
アジアだけど、イスラムの国だから、中東のイメージに近いでしょうか?

とにかく、イメージでしかなく、どんな国なのか?実のところはよく知らない、と言うのが本音です。

言葉も通じない貧しい村民が献身的な救助、看護を行って、69人のトルコ人が助かり、無事帰国できた、この話には
壮大な恩返しの後日談があります。

1985年、イランイラク戦争が起こり、中東地域は治安が悪くなりました。
そのうえ、フセインが無差別爆撃を宣言したため、現地に取り残された日本人は窮地に陥りました。

日本政府は航空機を飛ばしてくれず、自衛隊も派遣してくれませんでした。
日本という国は、「海外にいる日本人のことなんか守れませんよ。国内の日本人の方が大事です」
と言ったわけです。

取り残された日本人たちは絶望したでしょうね。
祖国日本に見捨てられ、誰がそんなよその国の人たちを助けてくれるでしょう?

でも、トルコという国は助けてくれたのです。
救援機を出してくれたのです。
映画では、それでも「トルコ人を優先しろ!」とはじめはなっていたのですが、(当然です)
「今こそエルトゥールル号事件の恩返しをしよう!」という声に、そこにいたトルコ人たちは納得してくれます。
そんなこと、あり得るでしょうか?
誰しも、自分の命が危ない時は、自分や家族を優先したいです。
見知らぬ日本人が困っていようが知ったことじゃないでしょう。
でも、確かに、取り残されていた日本人たちはターキッシュエアラインで帰ってくることができました。

当時、どうしてトルコが助けてくれたんだろう?とは思いましたが、そんなドラマがあったことは知りませんでした。

遠い国だし、アメリカやヨーロッパや中国韓国などのアジアの国と違い、普段の生活に「トルコ」という国はあまりかかわりがありません。
でも、そういうつながりこそ大切にしなければいけないんじゃないでしょうか?

今も串本では慰霊祭が行われているようです。
串本とトルコは今もつながりがあるのかもしれませんが、ほとんどの日本人にとってトルコは知らない国です。

トルコで地震が起きたとき、この事件や映画が頭に浮かびました。
そんなやり方は邪道なのかもしれないけど、やはり、普段あまりかかわりのない遠い国に関心を持ってもらうためには
こういうじけんを取り上げることも大事だと思うのです。

この映画だったり、それらの漫画だったりで興味を持って支援の輪が広がればいいなと思います。



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