さっき、自宅に帰ってきました。
3日に知らせを受けて、奈良へ飛んで行った際、私は余程あわてていたらしく、戸締り忘れて行っていました。
子供たちは後から二人で電車で芦屋のおばあちゃんの家へ来なさいと言って、
シャッターくらいなら、大丈夫だろうと思っていました。
夜になって仮通夜の際
「!」(@@;;;
わ、私、お風呂の窓、全開やん~!
どっちにしろ喪服などの用意のため一度は帰らなければならないので、
申し訳ないけど、みんなが揃う前に帰らせていただきました。
家は無事でしたが、お風呂の窓は全開の上にデンキも点けっぱなしでした。
ドンダケあわててたんだ…。
家族中の喪服の用意。靴、数珠。お金。
私は、通夜は洋服。告別式は和服なので両方用意。
と、泊まる準備。スーツケースに詰め込みました。
早めに行ったので湯かんの様子も見ることが出来ました。
本当にきれいにしてもらってお母さんもみんなも嬉しそうでした。
棺に入れるものを探したり、バタバタと時間が過ぎ、会場へ。
お母さんの望みで近所の集会所。
お母さんのお友達がたくさん来て下さいました。
宿泊不可なので、自宅の方にありったけのお布団を敷く。
5組しかないので、比較的近い私たちはパパだけおいて自宅へ帰る。
自宅と新居の2重生活なので不便です。
鍵がない!と昨日私もどこにやったか?探し回ったのですが、
今度は息子です。
暗いのでなかなか見つかりません。
結局車の中にありました。
そんなつまらないどたばたと不手際のてんやわんやで毎日寝るのが2時3時。
ずっと寝不足なのと疲れとで私は2時ごろお風呂に入っていたのですが
2回お湯、飲みました。(@@;;
アカン、アカン!こんなとこで寝たらアカンで!!!
疲れと冷えと寝不足とで頭ガンガンでまた、3人で芦屋へ向かいます。
告別式には姉と私と着物で送って差し上げたいと姉には母の喪服を用意していました。
思ったより遅くなったので、着いたらすぐ姉の着付け。そして自分。汗だく(^^;;
この間から、何度も着物を着ていたのもこの日のリハーサルだったのでしょうか?
ま、その割にはあまり上手に着れなかったけど…。
告別式、最後のお別れ、斎場、精進揚げ、再び斎場へ骨揚げに。
マイクロバスには乗りきれなくて、ウチは車を出しました。
行きは声かけ間に合わず、ウチの家族で乗りましたが、帰りは足が悪くて
マイクロバスに載るのが大変そうな方に載って頂きました。
が、精進揚げでパパはビールを飲んでしまった為、骨揚げの際は私が運転しました。
着物で運転は慣れているので大丈夫ですが、知らない道なので緊張しました。
会場へ帰って、初七日法要。
お坊様のお話で「縁」と言うものの大切さをまたあらためて実感しました。
本当にこの間から『縁』と『いうものをものすごく感じています。
お母さんが引き合わせてくださった皆さんです。
お母さんのことを沢山お話ししました。
色んなこともたくさんお話ししました。
『出会い』と『別れ』と言うものは必ず1セットです。
『誕生』と『死』も必ずセットです。
お母さんに出会えたこと。
お母さんの娘(嫁)になって出会えた人たちの事。
大切にして生きていきますね。
娘も息子も明日は仕事なので、私たちはまた、パパを残して帰ります。
玄関先で別れて、私たちは帰途へ。
角を曲がる際、息子が
「あそこでおばあちゃんいつも手を振ってくれたのに、もう、振ってくれへんねんなぁ。」
と言いながら角を曲がり、いつも手を振ってくれる路地を見ると
「誰かおる。」
「パパ、手を振ってくれた。」
「おばあちゃんの代わりに振ってくれたんやね。」
と言って、「手を振ってくれてありがとう」ってメールしたら、「振ってない。みんな家の中だった。」
え?誰?
私たち3人は確かに人影を見たのに?
お母さんが「ありがとう」って手を振ってくれたのかな?
いつも見送りに手を振ってくれる、いつものあの路地に立って。
3日に知らせを受けて、奈良へ飛んで行った際、私は余程あわてていたらしく、戸締り忘れて行っていました。
子供たちは後から二人で電車で芦屋のおばあちゃんの家へ来なさいと言って、
シャッターくらいなら、大丈夫だろうと思っていました。
夜になって仮通夜の際
「!」(@@;;;
わ、私、お風呂の窓、全開やん~!
どっちにしろ喪服などの用意のため一度は帰らなければならないので、
申し訳ないけど、みんなが揃う前に帰らせていただきました。
家は無事でしたが、お風呂の窓は全開の上にデンキも点けっぱなしでした。
ドンダケあわててたんだ…。
家族中の喪服の用意。靴、数珠。お金。
私は、通夜は洋服。告別式は和服なので両方用意。
と、泊まる準備。スーツケースに詰め込みました。
早めに行ったので湯かんの様子も見ることが出来ました。
本当にきれいにしてもらってお母さんもみんなも嬉しそうでした。
棺に入れるものを探したり、バタバタと時間が過ぎ、会場へ。
お母さんの望みで近所の集会所。
お母さんのお友達がたくさん来て下さいました。
宿泊不可なので、自宅の方にありったけのお布団を敷く。
5組しかないので、比較的近い私たちはパパだけおいて自宅へ帰る。
自宅と新居の2重生活なので不便です。
鍵がない!と昨日私もどこにやったか?探し回ったのですが、
今度は息子です。
暗いのでなかなか見つかりません。
結局車の中にありました。
そんなつまらないどたばたと不手際のてんやわんやで毎日寝るのが2時3時。
ずっと寝不足なのと疲れとで私は2時ごろお風呂に入っていたのですが
2回お湯、飲みました。(@@;;
アカン、アカン!こんなとこで寝たらアカンで!!!
疲れと冷えと寝不足とで頭ガンガンでまた、3人で芦屋へ向かいます。
告別式には姉と私と着物で送って差し上げたいと姉には母の喪服を用意していました。
思ったより遅くなったので、着いたらすぐ姉の着付け。そして自分。汗だく(^^;;
この間から、何度も着物を着ていたのもこの日のリハーサルだったのでしょうか?
ま、その割にはあまり上手に着れなかったけど…。
告別式、最後のお別れ、斎場、精進揚げ、再び斎場へ骨揚げに。
マイクロバスには乗りきれなくて、ウチは車を出しました。
行きは声かけ間に合わず、ウチの家族で乗りましたが、帰りは足が悪くて
マイクロバスに載るのが大変そうな方に載って頂きました。
が、精進揚げでパパはビールを飲んでしまった為、骨揚げの際は私が運転しました。
着物で運転は慣れているので大丈夫ですが、知らない道なので緊張しました。
会場へ帰って、初七日法要。
お坊様のお話で「縁」と言うものの大切さをまたあらためて実感しました。
本当にこの間から『縁』と『いうものをものすごく感じています。
お母さんが引き合わせてくださった皆さんです。
お母さんのことを沢山お話ししました。
色んなこともたくさんお話ししました。
『出会い』と『別れ』と言うものは必ず1セットです。
『誕生』と『死』も必ずセットです。
お母さんに出会えたこと。
お母さんの娘(嫁)になって出会えた人たちの事。
大切にして生きていきますね。
娘も息子も明日は仕事なので、私たちはまた、パパを残して帰ります。
玄関先で別れて、私たちは帰途へ。
角を曲がる際、息子が
「あそこでおばあちゃんいつも手を振ってくれたのに、もう、振ってくれへんねんなぁ。」
と言いながら角を曲がり、いつも手を振ってくれる路地を見ると
「誰かおる。」
「パパ、手を振ってくれた。」
「おばあちゃんの代わりに振ってくれたんやね。」
と言って、「手を振ってくれてありがとう」ってメールしたら、「振ってない。みんな家の中だった。」
え?誰?
私たち3人は確かに人影を見たのに?
お母さんが「ありがとう」って手を振ってくれたのかな?
いつも見送りに手を振ってくれる、いつものあの路地に立って。
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