東北地方を中心とする未曾有の被害をもたらした東日本大震災の発生から2年を迎えます
この震災で命を奪われた多数の方々の無念の思い そして御遺族の皆様の深い悲しみに思いを致しますと、哀惜の念に堪えません
本日 午後2時30分から「東日本大震災二周年追悼式」が国立劇場において執り行われます
その際 午後2時46分を期して式場において1分間の黙とうを捧げ 御冥福をお祈りすることになっております
皆様におかれましても これに合わせてそれぞれの場所で黙とうを捧げて下さい
よろしくお願い致します
早いものでもう2年が過ぎます
テレビ画面に映し出されたあの悪夢のような光景は今でも鮮明におぼえていますが 正直こんな時間になんの映画をしているんだ?という感覚でした
その映像がリアルタイムの しかも日本で現実に起こっている事とは認識できなかったのです
それをしり目に映像はひどくなるばかり
何をするわけでもなく 何か出来るわけでもなく ただテレビの前から動けなかった
そんな1日でした
その後 微力ながらではありますが物資活動のも参加させて頂きました
その際には多くの方にご支援 ご協力を賜ったことにお礼申し上げます
どうもお世話になりました
実際携わってくれた方 もしくはなんらかの形で協力してくれた方
そして たまたま前に出て動く役回りとなった我々
そんなチカラがそれぞれに合わさって支援活動をすることができました
自分だけが何をしたところで…という風潮の中 確かに今回の規模にしたら 支援活動そのこと自体は小さな事だったかもしれません
しかしながらゼロではなく 現場では想像以上の反応でありました
成果という直接目に見えるものは無かったかもしれませんが 関心を持ち なんでもいいから携わってみる そういう意識が必ず別の面で活かされることになりますのでね
で 今後の活動?かどうかはわかりませんが 今思っているのは
現地でどんどんウマいもん釣ってもらって 作ってもらって
我々は仕事がんばってそれ買って食う
んで お~いし~い!
売れてバンザイ!
こちらは おいしくごっそさん!
コレがそもそもの基本形
そう思いますし 片方の一方通行は決して長続きしませんしね
こんなこと言うと叱られるかもしれませんけど
これをチャンスとして捉えていく
結果的には東北と四国
こんなに離れていたところが これほど意識は近くなっているんですからね
お互いに頑張っていきましょう!
ありきたりの言葉ですが 1日でも早く元の形に
そしてさらなる発展を遂げた町になるよう祈念しております
メゾンゴルフ 河崎佳孝
去る2011年3月11日に起こった大地震とそれによって巻き起こされた大津波 その震災からはや1年が経ちました
改めて このたびの震災により亡くなられた方々に対しまして ご冥福をお祈り申し上げますとともに 被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます
また 1日でも早い復興 そして生活に活気が戻るよう願っております
さて このところ震災を振り返る的な映像をよく見かけますので ここではちょっとした思い出話をしたいと思います
あるきっかけにより私も震災の支援活動に携わらせていただくことになりました
その当時は何もかもが初めての経験で失敗ばかりの連続…で逆に迷惑をかけていたことも多数あったと思います
現場で右往左往することもよくありました
今考えれば段取り通り進むはずもないのは当たり前なんですが…
しかしながら 人間どんなハプニングにも対応してくるもんで 事をこなすにつれ段々とスムースに行くようになったように思います
その裏には協力してくれている仲間がいてくれたおかげなのは言うまでもありませんが
活動期間も当初考えていたのとは 全くもって想定外 のことでありました
はじめての行動が3月末 そして一端の区切りというか地元に帰ってきたのが7月末
ですから約4か月ですか
拠点と東北を行ったり来たり 現地での滞在は長いものになると2週間ぐらいいたこともあったと思います
そのおかげ?かどうなのか
車は家である
そんなおかしな感覚が私にはあります
それは必要にせまられてやむなく というのが始まりでした
なにせ あの状況で宿泊というのは まず危険が回避できるところ というのがまず先に立ちます
通常では考えられない状況がそこにあって 特に日が沈むと ここは日本 といっても誰も信用しない そんな風景(と言っても見えなんですけどね 街灯は勿論 信号機も消えたまま 建物は真っ暗 暗闇という言葉がぴったりあてはまります)が360度の状態です
当時の寝床は活動現場から車で約1時間ほどの高速パーキングでした
パーキングっていうと聞こえいいんですけどね
想像しているようなコンビニがあってトイレがあって明るくて
……なんてトンデモナイ!
確かにあったのかもしれませんけど…っていう感じ
お世辞にも安心していられる雰囲気は皆無(それも次第に慣れてしまいましたけどね…慣れってある意味コワイね)
そんな状況にも明るい兆しが見えてきてね
物資支援が活動の中心だったんですけど 幸いにも現地での協力者(家族)が出来まして
それは沢山の支援者の方のおかげで物資が大量に集まりだしたことがきっかけ
その時の活動は 全国から届いた物資を車に詰めれるだけ詰め込み東北へ向けて運搬するというものでしたが その量が(ハンパなく)増加していくにつれ これらを直接現地まで送ってもらえるようストックしておく場所を確保できないかという発想になりました
効率を考えればそれは自然な流れというか そうしないと物理的に無理 そんな状況でしたから
これがまた運よく?これまでの活動の付き合いで快くスペースの提供を受けることが出来ましてね
それと同時に強力な現地のサポートも受けられ万々歳
そして(ここ重要!)意図していなかった寝床の確保にも繋がりまして!
ひとつの行動がこんなにもいい方に進んでいいのだろうか?
そんな思いがよぎったのをおぼえております
しかも思惑以上にパワーアップして ですからね(しかし現実です)
その時点で 路上ジプシー生活とはオサラバ!
のはずだったんです…でもね~そうは問屋が卸さないところが現実のおもしろいところであります
そのステージを完結すれば 新たなステージが見えてくる
ってなもんで 活動範囲 内容は そこから飛躍的な展開とあいなったわけでございます
そして 完全に帰るタイミングを失っていた私を強制連行するために わざわざ徳島からミッション クーラーなし の軽トラ で来てくれたのが
悶絶ゴルフのブログ時々バイク
http://blogs.yahoo.co.jp/ryoujit1300
の彼です
それは夏真っ盛りの出来事でした…
その節は 誠にお世話になりました
物資支援に一役かってくれたのが 例の?
目指せ72ゴルフ奮闘記 の彼
http://blogs.yahoo.co.jp/koto_48club
どうも ありがとね!
そして物資のみならず多数の支援に骨を折っていただいた方々
本当にありがとうございました
この場を借りて お礼申し上げます
(震災記 番外編)
長かったようで短かったような そして終わったようで終わってないような
そんな支援活動で ある形として頂いたものがあります
それが コレ!
わかるかな?この船の模型 パーツが竹で出来ているんだ
その一つ一つは手作りでね 相当の技術と手間がかかっている代物
その精密さが写真で伝わるかどうかわからないけれど 宮城県石巻市でこれを作っている人がいてね
よくできてるでしょう
間髪入れずに いる!!! ってその場でもって帰ってきたんですよ
そんなに数作れるものじゃないしね
今は ウチの宝物 になっております
こういうの興味がある人がいたら 聞いてみてあげるよ
もしかしたら 分けてくれる船 あるかもしれないから
これを頂いた家族は 今もなお仮設住宅での生活を余儀なくされております
しかしながら持ち前の元気と底抜けに明るい性格でなんとか乗り切っています
支援という言葉を何度も使いましたけど この震災 私は学ばせてもらったことばかりでした
その時間は他では得難い貴重な財産となって今もありがたく感じております
ちょっと間があいてしまいましたが
去る11月23日 被災地 宮城県石巻市 まで行ってまいりました
南国ボケしてしまっているわたくしにとりましては
宮城県の寒さ はかなり堪えました…
これから 本格的な冬を迎える のはわかっていますが
今でも十分 真冬じゃん!
わたしの体内温度計は そう発信しておりました
仮説住宅へお邪魔させて頂きました
そこは 冬対策として壁の断熱材と2重サッシの工事がされたそうですが
厳しい冬に対する不安はぬぐえそうにもありません
東北人の我慢強さ 奥ゆかしさ からか
決して 口には出して言いませんが
そう感じた次第であります
それでも久しぶりに元気な姿を見ることができ
ちょっと安心と逆に力を頂いたように思います
今回は2台の車をお届でしたが
バックアップ頂いた関係者の方々のおかげをもちまして
無事 任務完了 することが出来たことを 御礼申し上げます
唯一の不安点といたしましては
コヤツは免許がいつ取れるのか?
ある意味 初助手席の恐○ を逃れることができ
ホッとしているところ ではありますが
その大役を担われる方
心から応援しております
今回は とんぼ返りの強硬スケジュールで
本部基地の滞在時間もごく僅でした
変わったことと言えば…
水槽がスッキリしてましたかね
名わき役の うつぼちゃん は元気そうで
トレードマークの鼻毛も健在でした
これ言うと いつも鼻毛じゃない!って怒られるんですけど
だって そう見えるんだもの…
参考画像
2011.5.4~
長く被災地に滞在していたせいもありまして…
その間 テレビなどで鬼のように報道されていた内容をあまり知らんのです
後半になって自衛隊さんが持ってきてくれる地方新聞を読んでいた程度です
それでも その頃の環境としては現地で見た限りでは まだ良かった方だと思います
そんなでしたので画像を引っ張ってきたりして振りかえりながら書いているのですが…
今にして思うと それが自分個人としてはよかったのかなと感じている次第です
情けない話ですがね
見たことも無いような状況でただでさえPDSD状態なのにですよ
それと同時に あの報道を詰め込まれていたら…ですね
それこそ 環境・情報PDSDのダブルパンチ 完全KOしていたと思うんです
報道、新聞なんかで言ってないようなことが載る なんてのは経験済みです
所詮学生の頃だったので言葉足らずを補ってくれたのだろう
程度に思っていましたし
所詮スポーツのことですからそう目くじらたてるほどのことではないと
そう受け止めていました
(それでも あまりいい気がしないことは確かです)
被災地にも大勢の報道陣が詰めかけており
車で5分走れば数社の撮影と出あうなんてのもザラにありました
その放映かどうかは今判断はつきませんが
なじみの?光景が映っていることもしばしばあるわけで…
明るい話題に仕立てたい(もしくはその逆)のも分からないではないですけど
ちょっと脚色しすぎ!
もうしゃべるな!!って何度も画面に向かってひとり叫んでおりました…
確かに私自身が被災者よりで見てしまっているというのもあります
しかしそれを割り引いても やりすぎの感は奪えないのです
そのアナウンサーも多分原稿を読んでいるだけなのでしょうが、
だとすると誰が書いたものなんでしょう
どう考えても現地にいた人ではないのは間違いないと思うのです
それぞれ役割がありますから 伝言ゲームにミスがあったのでしょうか
(そんなはずないよね~)
直接見れないがために あてにしていたはずの情報手段…
その最もウェイトを占めてしまっているテレビが…
冷静に見てないとこれはマズイ
これを鵜呑みにしてしまうようだと もっとマズイ
こうなってくると 疑ってかかる スタンスでちょうど良いんじゃないでしょうか
自分自身で判断する重要性
をあらためて 痛烈に 感じた次第です
さらに付け加ええれば
こんなのは報道関係だけではありません
広範囲に無数にあるガレキ…
ちょっとやそっとでは対処しようがありません
その場に個人が行ってもその量からすれば
ほんのごく僅かのことですが、それでもゼロではありません
被災地にいた時間が長かったからか
甘っちょろいからなのか
そのガレキがどうしてもゴミには見えないのですが
それがたとえどんなものであろうと処理は進めなければなりません
一般ごみは各地町村で処理されています
収集から集積場、処分場すべてを各自治体で賄うのが一般的な方法です
(広域でやっているところも勿論あります)
その量を合わせてみるとそれは凄い量になります
小さな町でそう感じるのですから
大都市などは目を覆いたくなるような光景になるでしょう
でも、これも元をたどれば各家庭一軒一軒から出されたものです
極論ですが、各家からゴミが無くなればこれも無くなります
各施設も必要無くなります
それは無理にしても少しだけ減らすことはちょっとした努力で出来そうな気はします
最近の風潮として
自分だけしても意味が無い
個人でやっても何もかわらない
そんな意識を強く感じます
確かに個人で出来ることなんてたかだかしれてますが、大きな力は小さな力の集合体ともとれるわけで…
小さな努力でもみんなで合わさればゴミの問題にしても少しでも余裕が出来る
その余裕を今回の処理に割り当てる
全部とはいかないのは仕方が無いにしてもゼロではありませんし
いつ自分がその立場に置かれるのかもわからないのですから
大きなことも小さなことから変えられる
そしてそのことは最後は返ってくると思うのです
震災直後の「今、できること」
2011.9.10の「今、できること」
そんな遠くない未来に向けて「やって置かないといけないこと」
2011.4.8~
今回は現地調査が主な目的でしたのでプチ長期滞在
(情けない話ですが、この時初めてお風呂のありがたさを知りました)
単独で向かい各地をまわり、
その間 本部では様々な方面からの情報と
こちらの情報
(今さらですけど もっとこうすればよかったと思うことばかりです)
を管理・整理
さらには支援者の方と共に物資行動をしてくれていましたから
相当てんやわんやだったことと思います
なにしろ 何もかもが混乱の中での同時進行でしたら…
現地状況もさることながら、情報の利点と欠点を知ることができたのも
自分にとって大きな経験でありました
これは震災後、約1カ月のころの状況です
常磐道いわきから一般道を北上したのですが この道路状況で…
これ、田んぼじゃないんですよ 大きな住宅街 見えているのは電線です
エコ型暖助 一般の方に販売します!!
一般の方向けに暖助の改良版が出来ました。
燃焼効率をよくし又、オーブンなどのオプションも付けられます。
売上げの一部で被災地への支援活動を行っていきたいと思います。
詳しくはこちら!
お問合わせ
工房ジオ・パラダイス
〒384-0055
長野県小諸市大字柏木1443-2
TEL: 0267-26-5011
FAX: 0267-26-5002
E-mail: member@geo-paradaise.com
HP:http://www.geo-paradise.com/
すんばらしく高性能! 且つ エコ!!
ホントこれ かっこいいっす!
暖助 大活躍中! 気仙沼大島
この日は2011.6.5
ラグフェア おっくん 登場!
震災後、初めて現地を訪れたのは 2011.3.26
あの頃はまだ雪がだいぶ振りました
社会福祉法人 ありのまま舎
〒982-0252
宮城県仙台市太白区茂庭台2-15-30
022-281-1200
022-281-155
全国から集まった物資を届けること
配達不能のため、現地ヤマト配送センターに集まっている物資を受け取り、送り届ける
この2点が目的でした