公害という名の恐るべき犯罪、“人間が人間に加えた汚辱”、水俣病。
昭和28年一号患者発生来十余年、水俣に育った著者が患者と添寝せんばかりに水俣言葉で、
その叫びを、悲しみ怒りを自らの痛みとし書き綴った《わがうちなる水俣病》。
凄惨な異相の中に極限状況を超えて光芒を放つ人間の美しさがきらめく。
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著:石牟礼道子
先日の訃報を知って
なんだか既視感のあるお名前だなあと思ったら、
それもそのはず、
「有機水銀」という
校内合唱コンクールでは必ずどこかのクラスが歌う曲がありまして
その作詞がこの方だったのでした。
(正確には「しゅうりりえんえん」という詩作らしい)。
3年間毎年1度は耳にしていた曲であり、
私の母校は卒業記念品が校内合唱コンクールのCDなので
CDのカードに石牟礼さんの名前がプリントされているから知らない内にインプットされていたのだな。
著作をはじめて読みました。
痛ましい。
水俣病をはじめてしったのは公害について学んだ小学校高学年の社会の授業で
先生が「水銀の入った魚を食べた猫が躍るように暴れる」話を聞き
直後ぐらいにテレビでモノクロ映像をみて怖かったことが思い出されます。
そして現在にも通じる複次的な被害が連鎖していく状況。
でも文章からは静謐さのようなものも感じたり。