イタリア人シンガーの依頼を受けて
先週からマンハッタンでレコーディングをしている。
プロデューサーは友人のアメリカ人で、今回は一曲のみの録音。
録音はスタジオというより居間を少し改造した部屋で行われ
ボーカルやギター以外は全て打ち込みやドラムループ、MIDIを使う。
よって余りレコーディングスタジオの雰囲気はない。
僕が弾いたギターも、友人が歌う唄も一旦録音すると
全てオーディオファイルとなり、
ピッチ修正、リズム修正などがコンピュータ上で可能になる。
そうした修正を繰り返すのであれば、録音し直した方が早いと感じる時もあるが、
それでも、ちょっとしたことなら画面上で処理した方が楽。
一部修正であれば、録音し直しても結果は大して変わらないだろう。
こうした作業を見ていると現代の音楽は
テクノロジーに『作られている』と感じることさえある。
それでも、作品の完成度や音楽性の高さは人間の耳や
確かな演奏に担う部分が大きいわけだし、
誰もが良質の音楽を作れるわけでもない。
やはり、名曲はコピー&ペーストじゃ作れないのだ。
先週からマンハッタンでレコーディングをしている。
プロデューサーは友人のアメリカ人で、今回は一曲のみの録音。
録音はスタジオというより居間を少し改造した部屋で行われ
ボーカルやギター以外は全て打ち込みやドラムループ、MIDIを使う。
よって余りレコーディングスタジオの雰囲気はない。
僕が弾いたギターも、友人が歌う唄も一旦録音すると
全てオーディオファイルとなり、
ピッチ修正、リズム修正などがコンピュータ上で可能になる。
そうした修正を繰り返すのであれば、録音し直した方が早いと感じる時もあるが、
それでも、ちょっとしたことなら画面上で処理した方が楽。
一部修正であれば、録音し直しても結果は大して変わらないだろう。
こうした作業を見ていると現代の音楽は
テクノロジーに『作られている』と感じることさえある。
それでも、作品の完成度や音楽性の高さは人間の耳や
確かな演奏に担う部分が大きいわけだし、
誰もが良質の音楽を作れるわけでもない。
やはり、名曲はコピー&ペーストじゃ作れないのだ。